
ある製造業の会社が、2012年に出力1メガワットの太陽光発電所を建てた。買取は20年で、2032年に終わる。残りは6年。売電の単価が20年間決まっているので、その後の収支の試算は、まだ誰も作っていない。記事は、買取期間が残っているうちに、6つの出口から選ぶよう求めました。今宵は、市場の値段と本来の値段を分けて考えた経済学者、金と円を結ぶ約束を外した財政家、鉱山をまとめて引き受けた実業家、そして傾いた銀行を引き受け続けた銀行家が語り合います。
今宵の賢人たち
- 高高橋是清約束は、外す日が来る1854–1936。日本銀行総裁、大蔵大臣を7回、内閣総理大臣を務めた財政家。昭和金融恐慌と昭和恐慌の収拾にあたった。1936年の二・二六事件で殺害された。
- スアダム・スミス市場の値段と、本来の値段1723–1790。スコットランドの道徳哲学者・経済学者。『道徳感情論』と『国富論』を著し、経済学の出発点を作った。
- 安安田善次郎値段の前に、傷みを数える1838–1921。富山から江戸に出て両替商となり、安田銀行を興した。経営の傾いた銀行を数多く引き受けた。1921年に暗殺された。
- 五五代友厚見て、掘って、確かめる1836–1885。薩摩藩士から実業家へ。大阪株式取引所や大阪商法会議所の設立に関わり、大阪の経済の立て直しに尽くした。事業の多くは収支が合わず、1881年の官有物払下げでは強い非難を受けた。
対談本編
実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。
司会
ある製造業の会社が、2012年に出力1メガワットの太陽光発電所を建てました。買取は20年で、2032年に終わります。残りは6年です。売電の単価が20年間決まっているので、その後の収支の試算は、まだ誰も作っていません。記事は、買取期間が残っているうちに、売電継続、FIPへの転換、自家消費、長期契約での供給、蓄電池、売却の6つの出口から選ぶよう求めています。まず、値段そのものの話から伺います。
アダム・スミス
私は『国富論』に、品物が実際に売られる値段を市場価格と呼ぶ、と書きました。続けてこうです。"It may either be above, or below, or exactly the same with its natural price." 作って届けるのにかかる費用と釣り合う値段を自然価格と呼べば、市場価格はその上にも下にもなります。値段は自然価格のほうへ引き寄せられていきますが、さまざまな事情が、長くその上に留めておくこともある、とも書きました。
司会
この発電所の20年は、制度が値段を留めていた期間だった、と読めます。記事は、発電所を「固定収入が入る金融商品」ではなく、「市場で電気を売って稼ぐ事業」として見直すよう書いています。
高橋是清
留め具を外す側にいた者として申します。1931年の12月13日、私は大蔵大臣に就いたその日に、金の輸出をふたたび禁じ、金本位制から離れました。固定しておくという約束には、外す日が来ます。困るのは、その日まで約束が続く前提で商売を組んでいた人です。
司会
この会社の場合、外れる日は2032年と分かっています。分かっているのに、試算がない。
高橋是清
分かっていても調べないことは、あるものです。私は若いころ、ペルーの銀山に出資する話に乗り、1889年に日本を発ちました。着いて調べると、翌年、廃坑だとわかった。家を売って始末をつけました。調べる前に金を出したのです。
五代友厚
私は逆に、見てからでないと動けない質でした。1873年に弘成館という会社を作り、26か所の鉱山をまとめて管理しています。山は一つひとつ事情が違いますから。
司会
記事の進め方の第一歩も、保有する発電所の棚卸しです。残りの期間、設備の状態、土地の契約を、発電所ごとに一覧にする。
五代友厚
1881年には、北海道の炭鉱と山林の払下げを、仲間と作った会社で願い出ました。自分で北海道へ渡り、函館から、試しに掘ってみないと先の見込みが立たない、と書き送っています。もっとも、この払下げは世間の強い非難を受けて取りやめになりました。私は弁明をしていません。会社は2年ほどで畳みました。
安田善次郎
引き受ける側から申します。明治9年の暮れ、私の店の有高はおよそ23万円で、そのうち20万円ほどが公債でした。額面100に対して42〜43まで下がった公債を担保に取り、自分でも持ったのです。傾いた銀行を引き受けるときの安田のやり方も同じでした。まず傷みがいくらあるかを査定し、資本を減らし、それから金と人を入れる。値段をつける前に、傷みを数えます。
司会
記事は、売却ではFITの残存期間が短いほど売値の評価が下がる、と書いています。買い手が数えているのは、保証があと何年付いているかと、設備の傷みですね。
五代友厚
ただ、私は売るのは最後でよいと思います。自分で確かめ、使い道を作り変える。発電所の近くに自社の工場があるなら、そこで使えばよいでしょう。
安田善次郎
お待ちなさい。作り変える力のない者が持ち続けるのが、いちばん高くつきます。あなたの藍の工場は、どうなりましたか。
五代友厚
……返す言葉がありません。朝陽館は政府から50万円を借りて始め、7年で閉じました。
司会
記事も、判断の基準を「自社が発電所の運用を担えるかどうか」に置いています。担えるなら市場での売電や長期契約、蓄電池で稼ぎにいく。担えないなら、委託か売却を前提に比べれば足りる。「動いている限り、売るのは損だ」という考えを、記事は誤解の1つに挙げています。 整理します。スミスさんは値段は留められていただけだと言い、高橋さんは留め具は外れるのだから調べてから動けと言い、五代さんは1つずつ見て確かめ、安田さんは引き受ける側が傷みと残りの年数を数えると言いました。記事の論点では順に、「金融商品から事業へ」「残存期間のあるうちに」「保有案件の棚卸し」「売却の評価」に当たります。 ——ただ、こうして並べると、記事の6つの出口は、6つの別々の道ではなさそうです。
高橋是清
問われているのは1つでしょう。この電気の値段を、これから誰が引き受けるのか。これまでは、制度が引き受けていました。
安田善次郎
売るなら、引き受けるのは買い手です。だから買い手は、残りの年数と傷みを数えます。
五代友厚
自分の工場で使うなら、引き受けるのは自分です。取引先へ長く届ける契約なら、取引先と分け合うことになる。
アダム・スミス
市場で売るなら、値段は日々動きます。私が書いたとおり、上にも下にもなります。
司会
記事は「FITは収入を約束しましたが、その後の扱い方までは約束していません」と結んでいます。4人の話を聞くと、6つの出口は、値段の引き受け手を制度から誰に替えるか、という1つの問いへの6つの答えです。市場、自社、取引先、売る時間をずらした市場、そして買い手。この会社に試算がないのは、怠けていたからではありません。引き受け手を決めなくてよい20年だったからです。 試しに、発電所ごとに1行、書いてみてください。「2032年に買取が終わった翌月、この電気の値段を決めるのは誰か」。書けない発電所が、最初に棚卸しをする発電所です。
対談から読み解く、4つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
高橋是清:約束は、外す日が来る
金と円を固定して結ぶ約束を、大臣に就いたその日に外した側の人。若いころには、調べずに出資した銀山が廃坑だったという失敗もしている
理論: 金輸出再禁止(1931年)/支払猶予令(1927年)
アダム・スミス:市場の値段と、本来の値段
品物が実際に売られる値段と、作って届けるのにかかる費用に見合う値段を分けて考えた。制度が支えていた値段が外れたあとを考える土台になる
理論: 自然価格と市場価格(『国富論』第1編第7章)
安田善次郎:値段の前に、傷みを数える
値の下がった公債を担保に取り、傾いた銀行を引き受けてきた。資産を引き受ける側が何を見て値段をつけるかを語れる
理論: 不良債権の査定 → 減資 → 増資と行員の派遣
五代友厚:見て、掘って、確かめる
鉱山を26か所まとめて引き受け、北海道では自分で現地を見た。一方で、自分で動かせると考えて始めた藍の工場は7年で閉じている。持ち続けるか手放すかの、両方の当事者
理論: 弘成館による鉱山の一括管理(1873年)
買取が終わった翌月、この電気の値段を決めるのは誰か
収束点——2032年に買取が終わるのに試算のない発電所を例に、スミスは値段は留められていただけであること、高橋は留め具は外れるのだから調べてから動くこと、五代は1つずつ見て確かめること、安田は引き受ける側が傷みと残りの年数を数えることを語った。記事の論点に当てはめれば、金融商品から事業へ/残存期間のあるうちに/保有案件の棚卸し/売却の評価、に当たる。五代は「売るのは最後でよい」と言い、安田は「作り変える力のない者が持ち続けるのが、いちばん高くつく」と返した。4人を並べると、6つの出口は別々の道ではなく、値段の引き受け手を制度から誰に替えるか、という1つの問いへの6つの答えであることが見えてくる。市場、自社、取引先、売る時間をずらした市場、そして買い手である。
学びの読書案内
高橋是清
金輸出再禁止(1931年)/支払猶予令(1927年)
『高橋是清自伝』
アダム・スミス
自然価格と市場価格(『国富論』第1編第7章)
『国富論』(1776)
安田善次郎
不良債権の査定 → 減資 → 増資と行員の派遣
『富之礎』/『意志の力』(1916)
五代友厚
弘成館による鉱山の一括管理(1873年)
『五代友厚伝記資料』
発言の背景にある出来事
高橋是清
「ペルーの銀山に出資する話に乗り」
ペルー銀山の失敗
高橋は役人を辞めてペルーの銀山の開発事業に加わり、1889年11月に横浜を発った。現地で調べたところ、翌1890年に、すでに掘り尽くされた廃坑であることがわかった。帰国後、自宅を売って後始末をした。のちに日本銀行に入り、1927年の金融恐慌では大蔵大臣として3週間の支払猶予令を出し、1931年12月13日には大臣就任の当日に金の輸出をふたたび禁じた。
アダム・スミス
「It may either be above, or below, or exactly the same with its natural price.」
自然価格と市場価格
スミスは『国富論』第1編第7章で、土地の地代・働き手の賃金・資本の利潤をふつうの率で払ってちょうど足りる値段を「自然価格」、品物が実際に売られる値段を「市場価格」と呼び分けた。市場価格は、市場に出てくる量と買い手の需要の釣り合いで決まり、自然価格の上にも下にもなる。値段は自然価格へ引き寄せられていくが、さまざまな事情が長くその上に留めておくこともある、と書いている。
安田善次郎
「額面100に対して42〜43まで下がった公債を担保に取り」
値下がりした公債と、銀行の引き受け
1876年(明治9年)12月末、安田商店の有高は22万9,453円で、そのうち20万625円が公債だった。額面100に対して42〜43まで相場が下がった公債を担保に取り、自らも持っていたとされる。傾いた銀行の引き受けでは、たとえば1916年の第三十六銀行で、不良債権を63万3,318円と査定したうえで、資本金70万円を25万円に減らし、100万円へ増資して行員を送り込んだ(このときの監督は娘婿の善三郎)。
五代友厚
「朝陽館は政府から50万円を借りて始め、7年で閉じました」
朝陽館と、関西貿易社
五代は1873年に弘成館を設立し、各地の鉱山26か所をまとめて管理した。1876年9月には、政府から50万円を借りて藍の製造会社・朝陽館を始めたが、インド産の藍に押されて1883年に閉じた。1881年6月には関西貿易社を設立し、北海道の炭鉱と山林の払下げを願い出た。同じ年、開拓使の官有物払下げが世間の強い非難を受けて中止になり、会社は1883年5月に解散した。五代は弁明しなかった。この事件の通説は近年見直しが進んでいるが、評価は定まっていない。
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
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