
品ぞろえを増やす、営業エリアを広げる、値段を下げる。売上を伸ばそうとする中小企業ほど、大手と同じ手を少しずつ取り入れていきます。どれも単体では前向きな施策に見えますが、資源で劣る会社が大手と同じ戦い方をすると、人や資金の差がそのまま、あるいはそれ以上に結果の差になります。今回の題材は、そう指摘する記事です。では、数で劣る側はどこで、どう戦えばよいのか。今宵は、小さな長岡藩で大軍と向き合った河井継之助、少ない兵で大軍を破ったと伝わる島津義弘、ローマ軍に勝ち続けながら戦争には敗れたハンニバル、ファスナーという一つの品に力を集めたYKKの吉田忠雄の四人が、それぞれの経験から語ります。
今宵の賢人たち
- 河河井継之助勝っても同じ土俵1827–1868。越後長岡藩(表高7万4千石)の家老上席・軍事総督。藩の財政を立て直し、最新の銃器を買い入れた
- 島島津義弘大軍が戦えない形をつくる1535–1619。薩摩の島津家の武将。九州での戦い、関ヶ原の撤退で知られる
- ハハンニバル・バルカ本気で守る場所で戦った前247年頃–前183年頃。カルタゴの将軍。前218年にアルプスを越えてイタリアに入り、前203年に本国へ呼び戻されるまで、ローマの本拠で戦い続けた。
- 吉吉田忠雄売ることをやめ、つくることに絞る1908–1993。YKKの創業者。1934年に東京・日本橋でサンエス商会を起こし、ファスナーの製造・販売を始めた
対談本編
実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。
司会
今日は「中小企業は『強者の戦い方』をまねた瞬間に負ける」という記事を題材にしたいと思います。資源で劣る会社は、戦う範囲を絞り、そこで1位を取るべきだ——という主張です。とはいえ、絞ると決めても実行できないのが現実ではないでしょうか。まず河井さん、どうご覧になりますか。
河井継之助
私は小さな長岡藩の財政を立て直し、最新の銃を買いました。そのうえで、どちらの陣営にもつかない道を選ぼうとした。ところが、選ばなかったことで、いつどこで戦うかを相手に決められてしまいました。戦う場所を選ばない者は、相手に戦場を選ばれるのです。
司会
選ばないことも、一つの選択になってしまうのですね。では、自分で戦場を選んだ側には何が起きるのでしょうか。島津さん。
島津義弘
わしは木崎原で、十倍ほどの相手と戦ったと伝わる。退くふりをして伏兵の待つ所へ引き込み、横から挟んだ。大軍が一度に力を出せない形を、こちらでつくったのだ。ただし、こちらも多くを失った。狭い戦場を選ぶとは、そこに持てるものを全部注ぐことだ。安く勝てる場所ではない。
司会
集中には代償が伴う、と。では、勝ち続けている場所なら、そこで戦い続ければよいのでしょうか。ハンニバルさん。
ハンニバル・バルカ
私はイタリアでローマ軍に何度も勝ちました。勝っていたから、そこを離れる理由が見つからなかった。けれど十五年いても、ローマは降らなかった。そこはローマがいちばん本気で守る場所だったからです。勝ち続けている場所ほど、引き際が見えなくなります。
司会
最後に吉田さん。やめることは、ただ手放すことなのでしょうか。
吉田忠雄
私はファスナーをつくる小さな店から始め、のちに国内で売る仕事を同業の問屋さんに任せました。売り方の競争は、相手のほうが上手だったからです。やめたのではなく、上手な相手に渡したのです。その分、つくることに力を集められました。
司会
四人の話をまとめます。河井さんは戦う場所を選ばなかったことで、相手に戦場を決められました。島津さんは選んだ狭い戦場に、持てるものを注ぎ込みました。ハンニバルさんは勝ち続けた場所で、引き際を見失いました。吉田さんは売る仕事を上手な相手に任せ、つくることに力を集めました。記事は「どこで1位を取るか」を選べと説きます。四人の話から見えてくるのは、その選択が一度では終わらないということです。戦う場所を選ぶとは、何を注ぎ込み、誰に任せ、いつ退くかを決め続けることなのだと思います。
対談から読み解く、4つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
河井継之助:勝っても同じ土俵
記事の「戦う範囲を絞る」に、選ばないことの危うさを足す役です。どちらの陣営にもつかない道を選ぼうとした結果、いつどこで戦うかを相手に決められた経験から、戦う場所を選ばない者は相手に戦場を選ばれると語ります。
理論: 藩政改革と装備の近代化、どちらにもつかない局外中立
島津義弘:大軍が戦えない形をつくる
記事の「局地戦」に、その代償を足す役です。木崎原の戦い(1572年)で、大軍が一度に力を出せない形をつくって勝ちながら、自らも多くを失ったと伝わる経験から、狭い戦場を選ぶとは持てるものを全部注ぐことだと語ります。
理論: 少数で大軍に当たる戦い方(引き込みと挟み撃ち)
ハンニバル・バルカ:本気で守る場所で戦った
記事の「1位を取ってから隣へ広げる」に、勝ち続ける場所の落とし穴を足す役です。イタリアで勝ち続けながら、ローマがいちばん本気で守る場所で15年戦った経験から、勝ち続けている場所ほど引き際が見えなくなると語ります。
理論: 局地戦の勝ち方と、相手の持久力の見誤り
吉田忠雄:売ることをやめ、つくることに絞る
記事の「集中とは、何かをやめること」に、やめ方の選択肢を足す役です。国内で売る仕事を同業の問屋に任せ、つくることに力を集めた経験から、やめることは上手な相手に渡すことでもあると語ります。
理論: 一つの品目への集中、「善の巡環」
集中は、一度の決断ではなく、続けて選び直すこと
資源の少ない会社が大きな相手に勝つには、戦う範囲を絞り、そこで一番になる。記事が説くこの原則は、多くの経営者が知っています。それでも実行が難しいのは、絞り込みを一度きりの決断だと考えてしまうからです。対談の四人が示したのは、その後に続く判断でした。選ばなければ、相手に戦場を決められる。選んだ場所には、力を注ぎ続ける必要がある。勝っている場所ほど、離れにくい。そして、自分より得意な相手に任せることも、やめ方の一つになる。集中とは、どこに力を注ぎ、何を任せ、いつ退くかを、状況に合わせて選び直し続けることだと言えます。
学びの読書案内
河井継之助
藩政改革と装備の近代化、どちらにもつかない局外中立
長岡藩の藩政改革と北越戦争(1868年)
島津義弘
少数で大軍に当たる戦い方(引き込みと挟み撃ち)
木崎原の戦い(1572年)
ハンニバル・バルカ
局地戦の勝ち方と、相手の持久力の見誤り
前216年カンナエの包囲殲滅/前203年イタリアからの召還/前202年ザマの敗北
吉田忠雄
一つの品目への集中、「善の巡環」
YKK(サンエス商会、1934年)の創業
発言の背景にある出来事
河井継之助
「いつどこで戦うかを相手に決められてしまいました」
小千谷談判と北越戦争
1868年5月2日、河井は小千谷の慈眼寺で新政府軍の軍監・岩村精一郎と会い、長岡藩をどちらにもつかせない道を求めたが、談判は約30分で退けられた。長岡藩は会津などと同盟を結んで戦い、局地では勝ったものの、長岡の城下は焼け、河井も傷がもとで亡くなった
島津義弘
「伏兵の待つ所へ引き込み、横から挟んだ」
木崎原の戦い(1572年)
日向の伊東氏が島津領に攻め込んだ戦い。島津側は飯野城の守備兵を中心とする少数で、相手は大軍だったと伝わる(兵力の数字は江戸期の島津家側の記録によるもので、確度は高くない)。退くふりをして伏兵の所へ引き込み、横から挟んで勝ったとされる
ハンニバル・バルカ
「十五年いても、ローマは降らなかった」
カンナエの勝利とローマの持久
前216年のカンナエの戦いでハンニバルはローマの大軍を包囲して破ったが、ローマは降伏せず、新しい兵を集め続けた。ハンニバルはイタリアで15年戦ったのち本国へ呼び戻され、前202年のザマの戦いで敗れた
吉田忠雄
「国内で売る仕事を同業の問屋さんに任せました」
つくることに力を集める
1934年、東京・日本橋でファスナーの製造・販売を始めた(サンエス商会)。1957年には国内の直販を同業の代理店に渡し、自社は製造に専念した
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
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