vol.13
成長戦略/売上拡大2026.09.08約6分
「技術が成熟する前に市場を押さえる」成長戦略
世界史 四人の視点
メフメト2世 × イサベル1世 × 鄭和 × ハンニバル・バルカ

量子コンピュータが実用化すれば、いま使われている暗号は破られます。その備えとなる量子暗号通信の市場は、まだ標準化すら始まっていません。IonQは2015年の創業から6年でニューヨーク証券取引所に上場し、2年で4件の買収を重ね、米空軍と2023年に約2,550万ドル、翌年に約5,450万ドルの契約を結びました。記事の結論は明快です——市場が小さいうちに種をまくのが、参入障壁を作る唯一の機会だと。では、その賭けの成否は何で決まるのでしょうか。今宵の酒場にお招きしたのは、いずれも実証されていないものに大きく賭けた四人です。未完成の巨砲に資源を投じた君主、専門家が却下した航海に出資した女王、国家の資金で史上最大の艦隊を動かした提督、そして戦場でほぼ負けなかった将軍。四人のうち二人は、賭けたあとに支援を失っています。
Cast
- メメフメト2世技術投資による突破1432–1481。オスマン帝国第7代スルタン。1453年にコンスタンティノープルを攻略し、征服後は諸集団の共存を前提とした統治を敷いた。
- イイサベル1世ハイリスク事業への出資者1451–1504。カスティーリャ女王。フェルナンド2世との共同統治で王権を統合し、1492年のコロンブスの航海を支援した。
- 鄭鄭和国家プロジェクトの実行責任者1371年頃–1433年頃。明代の宦官・提督。雲南出身で、永楽帝に仕え1405年から1433年にかけて7回の大航海を指揮した。
- ハハンニバル・バルカ非対称戦術の突破者前247年頃–前183年頃。カルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争でアルプスを越えてイタリアに侵入し、16年間ローマ本土で戦った。
司会
今日の題材は、技術が成熟する前に市場を押さえるという成長戦略です。量子暗号通信のIonQは2015年の創業から6年でニューヨーク証券取引所に上場した。産学連携で技術基盤を作り、2年で4件の買収で市場と顧客を買い、米空軍と2023年に約2,550万ドル、翌年に約5,450万ドルの契約を結んでいます。記事の結論は、市場が小さいうちに種をまくのが唯一の道だと。
イサベル1世
わたくしの話から始めましょう。あの航海について、諮問委員会は1490年に却下しています。理由は資金でも信仰でもない。西へ回ってアジアに至る距離の見積もりが小さすぎる、航海は成立しないというものでした。
司会
それでも出された。
イサベル1世
ええ。そして委員会のほうが正しかった。距離は彼の計算よりはるかに遠く、間にあったのは別の大陸です。技術評価と投資判断は、同じ問いではありません。専門家が正しく「無理だ」と言っても、出す価値のある賭けはある。ただし、正しかったのは彼らのほうだったと後から認める用意が要ります。
司会
出資の規模は。
イサベル1世
協定で約束したのは金額より権利です。提督職、副王職、得られる富の十分の一、しかも世襲。ただ王室の帳簿に彼への支払いが現れるのは、第一の航海が終わった後でした。実際に船と金を出したのは銀行家と、王室に負債のあった港町です。
メフメト2世
資本の話が出たので、技術の話をしよう。私は当時実証されていない巨砲に資源を投じた。だが正直に言えば、あれ一つで城壁が落ちたわけではない。一日に数発しか撃てず、砲身も傷んだ。前の年に海峡に城を築いて補給を断ち、坑道を掘り、艦隊を湾に回した。落ちたのはその組み合わせによってです。
司会
記事は「統合力による差別化」を挙げています。
メフメト2世
ならば同じことだ。新しい技術は、単独では決着をつけない。何と組み合わせるかを設計できる者だけが使える。私が学者や技師を出自を問わず集めたのは、そのためです。
鄭和
わたくしは官需の話をします。記事は、国家との大型契約が参入障壁になると書いている。それは、スポンサーが生きている間だけの話です。
司会
永楽帝の死後に打ち切られた、と。
鄭和
それも正確ではありません。陛下が存命の1421年、財源を北の遠征に回すために航海は止まりました。わたくしは上が替わる前から、宮廷の中の予算争いに一度も勝てていない。陛下が崩じたのは1424年の八月、中止の命が下ったのは翌月です。一か月です。
司会
それは記事の第三法則への、かなり重い反論です。
鄭和
官需は収益ではなく、他人の意思です。相手の予算の順位が変われば、実績も船も残らない。わたくしの艦隊は解かれ、航海の記録さえ手元にありません。
ハンニバル・バルカ
私は資金の続き方の話をする。イタリアにいた十六年、野戦ではほぼ負けなかった。前216年には敵の主力を包囲して殲滅した。それでも勝利条件には届かなかった。理由は戦術ではない。弟が増援を率いて来る途中で討たれ、本国では和平派が政治を握っていた。
司会
後世、部下があなたを評した言葉が伝わっています。
ハンニバル・バルカ
「勝ち方は知っているが、勝利の使い方を知らない」でしょう。あれは二百年後のローマ人が、しかも「そう信じられている」と断ってから書いたものだ。私が言いたいのはもっと単純です。先行投資の成否を決めるのは技術の筋ではなく、資金と支持がいつまで続くかだ。始める前に、それを何年分持っているかを数えておくことです。
メフメト2世
私も一つ認めよう。突破のために貨幣の品位を下げ、寄進地を召し上げた。軍も学者も離れ、私の死後、息子は和解のために私の政策を畳んだ。突破の代償は、次の経営者が払います。
司会
収束は一点。先行投資の成否を決めるのは技術の優劣ではなく、資金と支持がどこまで続くか。分かれたのは、制高点を取りに行くか(メフメト2世・イサベル)、支援が切れる前提で設計するか(鄭和・ハンニバル)でした。そしてイサベルさんの一言は、記事への賛成でも反対でもなく条件として残ります——専門家が正しく「無理だ」と言うことは、出さない理由にはならないが、出す理由にもならない。
対談から読み解く、4つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
メフメト2世:技術投資による突破
記事④の統合力を担当。未実証の技術に集中投資した当事者でありながら、その技術単独では決着がつかなかったことを自ら明かす役。突破の代償を次代が払った経緯も認める。
理論: 新技術への集中投資と、それを何と組み合わせるかの設計。目的達成のための手段が過剰化することがリスク
イサベル1世:ハイリスク事業への出資者
記事①の産学連携=外部の才への資本配分を担当。諮問委員会が技術的に却下した計画を、それでも出したという意思決定の構造を語る役。委員会のほうが正しかったことも認める。
理論: 不確実な航路への資本配分。宗教的統制の代償がリスク
鄭和:国家プロジェクトの実行責任者
記事③(官需=参入障壁)への最も重い反論を担当。官需は収益ではなく他人の意思であり、スポンサー在世中から予算争いに負けうることを、自らの年表で示す役。
理論: 巨大艦隊の運営と多国間外交の実務。トップ交代でプロジェクトごと消えることがリスク
ハンニバル・バルカ:非対称戦術の突破者
この回の警告役。戦術的勝利を重ねても本国の継続支援が切れれば終わるという立場から、先行投資の成否を決めるのは技術の筋ではなく資金と支持の継続性だと説く。
理論: 想定外ルートと戦術的勝利の連続。本国の継続支援を取り付けられないことがリスク
収束したのは「成否を決めるのは技術の優劣ではない」、分かれたのは時間軸の置き方
四人が別々の入り口から同じ一点に着いた。先行投資の成否を決めるのは技術の優劣ではなく、資金と支持がどこまで続くかである。記事は5つの法則を並列に置くが、対談では記事が明示しない「継続性」が、他のすべてを左右する変数として浮かび上がった。最も重い異論は鄭和から出た。記事は政府・官需との大型契約を参入障壁として肯定的に扱うが、彼の艦隊は永楽帝が存命の1421年に、帝自身が財源を北の遠征に振り向けたことで一度止まっている。トップが交代する前から、宮廷内の予算争いに勝てていなかった。官需は収益ではなく他人の意思であり、相手の優先順位が変われば実績も船も残らない。逆に記事を史実の側から補強したのがメフメト2世である。彼が投じた巨砲は単独で城壁を落としたわけではなく、前年の補給遮断、坑道戦、艦隊の湾への迂回という組み合わせによって決着がついた。新しい技術は単独では決着をつけない——記事のいう統合力による差別化は、この一点で裏づけられる。対立は優劣ではなく時間軸の置き方に落ち着いた。メフメト2世とイサベルは制高点を取りに行く側だが、前者は貨幣の品位を下げ寄進地を召し上げた代償として、死後に息子が政策を畳んだことを認めている。鄭和とハンニバルは支援が切れる前提で設計せよという側に立つ。そして決着させずに残した条件がひとつある。イサベルの計画を却下した諮問委員会は、資金でも信仰でもなく「アジアまでの距離の見積もりが小さすぎる」という技術的な理由で退けており、しかも距離については委員会のほうが正しかった。専門家が正しく無理だと言うことは、出さない理由にはならないが、出す理由にもならない。
学びの読書案内
メフメト2世
新技術への集中投資と、それを何と組み合わせるかの設計。目的達成のための手段が過剰化することがリスク
ルメリ・ヒサル築城(1452)による海上補給路の遮断/ウルバンの巨砲への投資/艦隊の陸越えによる金角湾への迂回/アリー・クシュチュら学者の招聘、プトレマイオス『地理学』の翻訳と世界地図の発注(1465)
イサベル1世
不確実な航路への資本配分。宗教的統制の代償がリスク
サンタフェ協定(1492年4月17日、提督・副王職と富の10分の1を世襲で約束)/グラナダ陥落(1492)/異端審問所の設置(1478)/ユダヤ教徒追放令(1492)/遺言のコディシロ(1504)における先住民の処遇に関する条項
鄭和
巨大艦隊の運営と多国間外交の実務。トップ交代でプロジェクトごと消えることがリスク
7回の大航海(1405–1433、東南アジア・インド洋・アラビア半島・東アフリカに到達)/長楽・南山の碑「天妃靈應之記」(1431、現存)/1421年の航海停止と1424年以降の打ち切り
ハンニバル・バルカ
想定外ルートと戦術的勝利の連続。本国の継続支援を取り付けられないことがリスク
前218年のアルプス越え(兵力数はハンニバル自身がラキニウム岬に建てた碑文に依るとポリュビオスが明記)/前216年カンナエの包囲殲滅/前202年ザマの敗北
発言の背景にある出来事
メフメト2世
「当時実証されていない巨砲に資源を投じた」
ウルバンの巨砲とコンスタンティノープル攻略(1452〜53年)
1452年、ハンガリー出身とされる鋳造技師ウルバンは、まず東ローマ帝国に大砲を売り込んだが報酬を払えず断られ、メフメト2世が破格の条件で雇い入れた。作られたのは砲身が7〜8メートルに達する前例のない巨砲で、実戦で役に立つかどうかは誰にも分かっていなかった。実際には1日に数発しか撃てず砲身も傷み、これ単独で城壁が落ちたわけではない。前年に海峡へ築いたルメリ・ヒサルによる補給の遮断、城壁下の坑道戦、艦隊を陸路で引いて金角湾へ回した奇策——これらが組み合わさって1453年5月の陥落に至った。「新しい技術は単独では決着をつけない」という彼の発言はここから来ている。
イサベル1世
「諮問委員会は1490年に却下しています」
タラベラ委員会の却下と、サンタフェ協定(1486〜92年)
コロンブスの西回り航海の計画は、1486年からサラマンカで審議された王室の諮問委員会(座長はエルナンド・デ・タラベラ)によって、1490年に却下されている。理由は資金でも信仰でもなく「西へ回ってアジアに至る距離の見積もりが小さすぎ、航海は成立しない」という技術的な判断だった。そして距離については委員会のほうが正しく、実際はコロンブスの計算よりはるかに遠かった(途中に別の大陸があったため到達できたにすぎない)。それでもイサベルは1492年4月17日のサンタフェ協定で計画を承認する。約束したのは資金というより権利で、大洋提督・副王・総督の職と、得られる富の10分の1を世襲で与えるものだった。
鄭和
「陛下が存命の1421年、財源を北の遠征に回すために航海は止まりました」
大航海の中断と打ち切り(1421〜33年)
鄭和の艦隊は1405年から永楽帝の命で7回の大航海を行い、東南アジア・インド洋・アラビア半島・東アフリカにまで達した。当時の世界で最大規模の国家プロジェクトである。ところが1421年、皇帝自身が北方モンゴルへの遠征に財源を振り向けたため航海は停止し、艦隊はその後10年近く南京に係留されたままとなった。永楽帝が没したのが1424年8月、次代の洪熙帝が正式に中止を命じたのが翌9月で、その間わずか1か月である。つまりこの事業は「トップが交代したから」終わったのではなく、スポンサーが健在なうちから宮廷内の予算の優先順位争いに負けていた。
ハンニバル・バルカ
「弟が増援を率いて来る途中で討たれ」
メタウルスの戦いと、本国からの支援(前207年)
ハンニバルは前218年にアルプスを越えてイタリアに侵入し、前216年のカンナエではローマ軍の主力を包囲して殲滅するなど、野戦ではほぼ負けなかった。それでも決定打には至らない。前207年、弟ハスドルバルがイベリア半島から増援を率いて合流しようとした際、メタウルス川のほとりでローマ軍に捕捉され戦死する。援軍は届かず、カルタゴ本国では和平派が主導権を握って追加の支援も乏しかった。イタリア滞在16年ののち呼び戻され、前202年のザマで敗れる。戦場で勝ち続けても、後方の支援が続かなければ勝利条件には届かない——彼の発言はこの経験に基づいている。
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。