
展示会で集めた名刺300枚。3か月たっても、電話をかけた名刺は一枚もない。営業は「リードの質が低い」、マーケは「営業は動いてくれない」。記事はこれを人の問題ではなく仕組みの問題だとし、定例会・共通ペルソナ・SLA・共通KPIの四つを挙げました。今宵は、長く敵だった薩摩と盟約を結んだ長州の政治家、政敵を閣僚に迎えた大統領、工場とロンドンの売り場を手紙でつないだ陶器商、そして組織の成り立ちを理論にした電話会社の社長が語り合います。
Cast
- 木木戸孝允盟約を書く1833–1877。長州藩士(桂小五郎)、のち明治政府の参議。1866年、薩摩との会談の中身を六か条の書簡にまとめ、坂本龍馬に裏書させた。
- リエイブラハム・リンカーン政敵を閣内に1809–1865。第16代アメリカ大統領。大統領選の指名を争ったスワード、チェイス、ベイツらを閣僚に迎え、対立を残したまま戦時の政権を運営した。1862年にはダコタ族38名の処刑を承認している。
- ウジョサイア・ウェッジウッド工場と売り場1730–1795。英国の陶器製造業者、ウェッジウッド社の創業者。工場の自分と、ロンドンの売り場を任せた共同経営者トーマス・ベントリーとを、頻繁な往復書簡で結んだ。
- バチェスター・バーナード組織の三要素1886–1961。ニュージャージー・ベル電話の社長を務めた実務家で、組織論の古典を書いた。組織は意思の伝え合い・貢献の意欲・共通の目的の三つがそろって成り立つとした。
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司会
展示会で名刺を三百枚集めました。マーケは「営業に渡した」と言い、営業は「質が低い」と言う。三か月たって、電話をかけた名刺は一枚もありません。記事はこれを人の問題ではなく仕組みの問題だと言い、定例会・共通ペルソナ・SLA・共通KPIの四つを挙げています。
ジョサイア・ウェッジウッド
私は工場にいて、ロンドンの売り場は共同経営者のベントリーに任せていました。二人の間では手紙を何度も往復させた。売れ残った象の置物について、私は「手元の分が売れるまで、あの重たい動物はもう送らない」と書いています。売り場からの返事が、工場の次の仕事を決めていたのです。名刺も同じでしょう。営業から「この三百枚のうち、話になったのはこの業種だった」と一行返ってくれば、マーケが次の展示会で集める名刺が変わります。
司会
記事の定例会と共通ペルソナは、その返事を毎週もらう場ということですね。では、渡すときの約束はどうでしょう。
木戸孝允
私と薩摩は、長く敵同士でした。京都で話し合ったとき、その場では盟約の書面を作りませんでした。帰る途中で、話した中身を六か条に書き出し、坂本さんに送って、この通りで間違いないと裏に書いてもらった。その三つ目の条には、万一こちらが負け色でも、一年や半年で潰れはしないから、その間も薩摩は必ず尽力する、とある。私自身が理由を書き残したわけではありませんが、相手の調子が悪いときにどうするかまで、紙に書いてあったのです。
司会
名刺に置き換えると、「渡したら、営業は何日以内に電話する」だけでなく、「営業が忙しくて電話できない月は、名刺をマーケに戻す」まで書いておく、ということですね。それが記事の言うSLAです。
チェスター・バーナード
ただ、その紙が守られるかどうかを決めるのは、書いた側ではありません。私は、命令に権限があるかどうかは、それを受け取る者が決めると書きました。営業が「この取り決めは自分たちのものだ」と受け入れていなければ、三百枚は机の引き出しにしまわれるだけです。坂本さんの裏書は、受け取る側が「これで間違いない」と認めた印でしょう。
エイブラハム・リンカーン
私は、大統領の指名を争った相手を閣僚にしました。国務長官のスワードは、就任ひと月で「政権には方針がない」と覚書をよこした。対立は最後まで消えませんでした。それでも、この戦いで私が何より優先する目的は「連邦を救うこと」だと、新聞への書簡ではっきり書いた。名刺の数でも電話の数でもなく、営業とマーケが同じ一つの数字を見る。たとえば「その名刺から何件の受注が生まれたか」です。
司会
記事が「最も根本的」とする共通KPIですね。整理します。ウェッジウッドさんは売り場からの返事、木戸さんは悪いときの約束まで書くこと、バーナードさんは受け取る側が認めること、リンカーンさんは同じ一つの数字を見ること。記事の論点に当てはめれば、順に「定例会・共通ペルソナ」「SLA」「SLAが守られる条件」「共通KPI」です。 ——ただ、こうして並べると、四つの施策は別々の道具ではないように見えてきます。
チェスター・バーナード
私は、組織は三つがそろったときに成り立つと書きました。意思を伝え合うこと、貢献しようとする意欲、そして共通の目的。売り場からの返事が伝え合い、六か条が貢献の約束、受注の数字が共通の目的です。そして三つのうち、目的だけは部門の中では作れません。営業だけで「受注」を目的にしても、マーケだけで「名刺の数」を目的にしても、二つの部門のままです。
木戸孝允
薩摩とも、仲良くなってから結んだのではありません。信じきれないから、書いたのです。
エイブラハム・リンカーン
閣僚との仲直りもしていません。それでも、同じ目的の下では働けた。
司会
記事は「対立は人の問題ではなく仕組みの問題だ」と書いています。四人の話を聞くと、その仕組みとは、仲直りのことではなく、何を渡し、何を約束し、何を一緒に数えるかを書くことだと言えそうです。 試しに、営業とマーケが同じ一枚の紙に、三行を書けるか確かめてみてください。一行目は「マーケは、どんな名刺を、何枚渡すか」。二行目は「営業は、何日以内に何をするか。できないときはどうするか」。三行目は「二人で、何の数字を一緒に見るか」。三行目が書けないうちは、名刺は三百枚集めても、また引き出しにしまわれるのかもしれません。
対談から読み解く、4つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
木戸孝允:盟約を書く
信用しきれない相手との合意を、書面と第三者の裏書で固めた。SLA(受け渡しの約束の明文化)の原型
理論: 薩長同盟の六か条(相手が負け色でも尽力する、まで書いた)
エイブラハム・リンカーン:政敵を閣内に
閣内の対立は最後まで消えなかった。それでも「連邦を救う」という目的を書面で示し、一つの政権として動かした。共通KPI(共通の目的)の原型
理論: 1862年8月22日のグリーリー宛書簡(戦争の最優先目的は連邦を救うこと)
ジョサイア・ウェッジウッド:工場と売り場
売り場の反応が工場の次の仕事を決める仕組みを作った。定例会・共通ペルソナの原型
理論: ショールームの見せ方の工夫、1773年のカタログ、工場の工程分業
チェスター・バーナード:組織の三要素
四つの施策を、組織が成り立つ三要素に並べ直す。共通KPIが最も根本的である理由(目的だけは部門の中で作れない)を示す
理論: 組織の三要素/権限受容説(命令に権限があるかは受け取る側が決める)
営業とマーケは、同じ紙に三行を書けるか
収束点——展示会で集めた名刺300枚が3か月後も手つかず、という場面を例に、ウェッジウッドは売り場からの一行の返事が次の仕事を決めること、木戸は相手の調子が悪いときの約束まで書くこと、バーナードは約束を守るかを決めるのは受け取る側だということ、リンカーンは名刺の数でも電話の数でもなく同じ一つの数字を見ることを語った。記事の論点に当てはめれば、定例会・共通ペルソナ/SLA/SLAが守られる条件/共通KPIにあたる。 言い直し——四つの施策は、バーナードの組織の三要素(意思の伝え合い・貢献の意欲・共通の目的)に重なる。三つのうち、目的だけは部門の中で作れない。共通KPIが最も根本的なのはこのためである。 手元で試せること——営業とマーケが同じ一枚の紙に、①マーケはどんな名刺を何枚渡すか ②営業は何日以内に何をし、できないときはどうするか ③二人で何の数字を一緒に見るか、の三行を書いてみる。
学びの読書案内
木戸孝允
薩長同盟の六か条(相手が負け色でも尽力する、まで書いた)
『木戸孝允文書』所収 坂本龍馬宛書簡(慶応2年正月23日付)
エイブラハム・リンカーン
1862年8月22日のグリーリー宛書簡(戦争の最優先目的は連邦を救うこと)
Basler 編 The Collected Works of Abraham Lincoln
ジョサイア・ウェッジウッド
ショールームの見せ方の工夫、1773年のカタログ、工場の工程分業
ベントリー宛書簡(Meteyard, The Life of Josiah Wedgwood, 1866 所収)
チェスター・バーナード
組織の三要素/権限受容説(命令に権限があるかは受け取る側が決める)
『経営者の役割』(The Functions of the Executive, 1938)
発言の背景にある出来事
木戸孝允
「話した中身を六か条に書き出し」
薩長同盟の六か条と、龍馬の裏書
1866年(慶応2年)1月、京都の小松帯刀邸で薩摩と長州の代表が会談したが、その場で盟約書は作られなかった。木戸は帰藩の途上で会談の内容を六か条にまとめ、正月23日付で坂本龍馬に送った。龍馬は2月5日付で、書面の内容に相違ないと朱書で裏書して返した(宮内庁書陵部蔵)。研究では、龍馬を仲介の主役ではなく書面の証人とみる見解(町田明広)もある。木戸が書面を求めた理由を本人が書き残した記録は確認できていない。
エイブラハム・リンカーン
「国務長官のスワードは、就任ひと月で」
スワードの覚書(1861年4月1日)
就任から1か月後の1861年4月1日、国務長官スワードは「政権には方針がない。方針を実行する者を一人決めるべきだ」とする覚書をリンカーンに出した。リンカーンは同日付の返書で、それが必要なら自分が行う、そして閣僚全員の助言を求める、と書いた(この返書は実際には送られなかった可能性があると全集の編者は注記している)。第1次就任演説の結びも、スワードの案をもとにリンカーンが書き直したものである。
ジョサイア・ウェッジウッド
「売れ残った象の置物について」
工場と売り場を結んだ往復書簡
ウェッジウッドは工場(エトルリア)に、共同経営者ベントリーはロンドンの売り場にいた。1770年6月8日付のベントリー宛書簡で、ウェッジウッドは売れ残った象の置物について「手元の分が売れるまで、あの重たい動物はもう送らない」という趣旨を書いている。売り場では食器を卓に並べ、花瓶を数日ごとに並べ替えて見せ方を変えた。ベントリー側の手紙はほとんど残っていない。
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
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