GGROWTH INTELLIGENCE経営に、次の一手を。

vol.26

成長戦略/売上拡大2026.10.06約5分

半導体の成長の主役は、なぜ後工程に移ったのか

性能の決め手は、部品の出来から、つなぎ方へ

ヨーゼフ・シュンペーター × 島津斉彬 × 坂本龍馬 × 渋沢栄一

この回を共有

前工程の装置メーカーに治具を納めて三十年、売上の六割がその一社という部品メーカーに、同じ月に二つの話が届く。後工程の共同研究への誘いと、大手からの資本提携の打診。記事は、回路の微細化が限界に近づき、性能を上げる主役が、チップをどう組み合わせるかという後工程に移ったと書きました。今宵は、革新を「組み合わせ」と定義した経済学者、技術を一か所に集めて産業を起こした薩摩の藩主、敵同士の藩の間に取引の道を通した志士、そして五百の会社に関わった明治の実業家が、同じ卓につきます。

Cast

  • シヨーゼフ・シュンペーター新結合1883–1950。オーストリア出身の経済学者。財務大臣・銀行頭取を経て1932年からハーバード大学教授。革新を、生産の要素の新しい組み合わせ(新結合)と定義した。
  • 斉島津斉彬技術を一か所に1809–1858。薩摩藩主(1851–58)。鹿児島の磯に反射炉・溶鉱炉・ガラス工場・蒸気機関の研究所を集め(集成館)、西郷隆盛らを登用した。集成館の主目的は大砲と軍艦の製造で、急死後に事業は大きく縮小された。
  • 龍坂本龍馬二者の間に立つ1836–1867。土佐脱藩浪士。社中(亀山社中)と海援隊を率い、運輸と物資の仲介を担った。商売の中心は武器の仲介だった。
  • 渋渋沢栄一合本と合併1840–1931。第一国立銀行を拠点に約500の会社に関わった実業家。人と資本を集めて事業を任せる「合本組織」を説いた。

実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。

司会

従業員百二十人の精密部品メーカーを思い浮かべてください。半導体の回路を作る前工程の装置メーカーに、ウェハを支える治具を納めて三十年。売上の六割はその一社です。この秋、チップを積み重ねる後工程の共同研究に加わらないかと声がかかり、同じ月に、大手の装置メーカーから資本提携の打診も届きました。記事は、回路を細かくする微細化が限界に近づき、性能を上げる主役が、複数のチップを一つの箱にどう組み合わせるかという「後工程」に移った、と書いています。

ヨーゼフ・シュンペーター

驚くには当たりません。革新とは、何か新しいものを発明することではない。私は "innovation combines factors in a new way"、生産の要素を新しいやり方で組み合わせることだ、と書きました。チップを一枚ずつ良くする道が詰まったなら、次はチップの組み合わせ方が革新の場になります。

司会

記事の言う、前工程の「補完役」だった後工程が主役になる、という話ですね。

ヨーゼフ・シュンペーター

もう一つ。革新は均等には起きません。"tend to cluster"、群れをなして、特定の部門に集まって起きる。だから好況が来て、後退が来る。記事が書く増産と在庫過剰の繰り返しも、私には同じ動きに見えます。

島津斉彬

組み合わせる場を作る話なら、私がしたことです。藩主になってすぐ、磯の浜に、鉄を溶かす炉、大砲の筒を削る機械、ガラスの工場、蒸気機関の研究所を並べました。反射炉は、佐賀から譲り受けたオランダの本の訳だけを頼りに築いた。ところが最初の炉は、内側の煉瓦が熱に負けて溶け、使い物になりませんでした。

司会

その壁を越えたのは。

島津斉彬

鉄の職人ではありません。藩の焼き物の窯にいた陶工が、天草の石を使い、炉の隣の窯で煉瓦を焼き直した。それで二つ目の炉が動いたのです。焼き物の窯を隣に置いていなければ、陶工に声はかからなかったでしょう。ただし、あの場は大砲と軍艦を造るための場でした。そして私が急に死ぬと、事業は大きく縮められた。場を作った者がいなくなれば、場は続きません。

司会

記事の一つ目のシナリオ、つくばの研究センターに日本の材料や装置のメーカーが集まる「連携」は、まさに場を作る話です。

坂本龍馬

場ができたら、次は誰がその間に立つかです。社中がそうでした。幕府に睨まれて武器を買えない長州のために、薩摩藩の名義で小銃と船を買い付けて渡した。敵同士の二つの藩の間に、品物の取引という道を一本通したわけです。もっとも、うちの商売の中心は武器の仲介で、薩長を結んだのも、わし一人ではない。小松さんや中岡さんが両藩を何度も行き来していました。

渋沢栄一

二つ目のシナリオ、M&Aについて申しましょう。私が関わった会社はおよそ五百ありますが、そのうち六割ほどは、合併などを経て今に残っています。名前が残ったかどうかより、事業が残ったかどうかです。共同運輸も、三菱の会社と一つになって日本郵船になりました。共同の重役は皆反対し、最後は一人ずつ説き伏せられたと聞いています。

司会

記事が挙げる「買われる側・連携する側・自ら買う側」のどれも、恥ずかしい選択ではない、と。 整理します。シュンペーターさんは、革新が組み合わせ方に移ること。斉彬さんは、違う技術を隣に並べる場を作ること。龍馬さんは、二つの間に立つ者の役割。渋沢さんは、合併しても事業が残ればよいこと。記事の論点では順に「微細化から3Dパッケージングへ」「連携の場」「連携の中の立ち位置」「M&Aによる再編」です。 ——ただ、こうして並べると、あの部品メーカーに届いた二つの話の見え方が変わってきます。

ヨーゼフ・シュンペーター

問われているのは、何を作るかではありません。どの要素とどの要素の間に立つかです。

島津斉彬

反射炉の壁を越えたのは、鉄の外にいた陶工でした。つなぎ目では、隣にいる別の職の者が要になります。

坂本龍馬

間に立つ者は、両方から頼られるうちは強い。片方の顔しか知らなければ、ただの下請けです。

渋沢栄一

資本の形は、その後で決めればよい。先に決めるべきは、自社がどのつなぎ目を握っているかでしょう。

司会

記事は、工程をまたぐ大手がいない後工程は再編の最中にあり、今動く企業が次の十年の勝者になる、と書いています。四人の話から、その「動く」の中身が見えてきます。性能の決め手が、部品一つの出来から、部品どうしのつなぎ方に移った。つなぎ目には、まだ持ち主がいない。だから再編が起きるのです。そして、つなぎ目の壁を越えるのは、斉彬さんの陶工のように、隣にいた別の分野の者であることが多い。連携か、買収か、買われるかという資本の選択より先に、自社がどのつなぎ目に立つかを決めること。それが「動く」ことでした。 試しに、自社の製品が、お客様の製品の中で「何と何の間」にあるかを一行で書いてみてください。書けなければ、再編の波の中で、選ぶ側ではなく選ばれる側に立つことになるかもしれません。

対談から読み解く、4つの軸

なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。

  • ヨーゼフ・シュンペーター:新結合

    チップを一枚ずつ良くする道が詰まれば、組み合わせ方が革新の場になる。後工程が主役に移った理由と、需給の波が起きる理由を一つの理屈で説明する

    理論: 新結合(新しい財・生産方法・販路・供給源・組織)/革新の群生と景気循環

  • 島津斉彬:技術を一か所に

    違う技術を隣に並べる場を作った側。TSMCがつくばに材料・装置メーカーを集める「連携」の、幕末の先例

    理論: 集成館事業(製鉄・造船・紡績・ガラス・薬品を一か所で束ねた)

  • 坂本龍馬:二者の間に立つ

    敵対する二つの藩の間に、品物の取引という道を一本通した。大きな者どうしの間に立つ中堅メーカーの位置

    理論: 社中による薩摩名義での武器・船の買い付けと引き渡し

  • 渋沢栄一:合本と合併

    関わった会社の約6割は、合併などを経て今に残る。「買われる側」も事業を残す一つの道であることを示す

    理論: 合本組織/会社は名前より事業が残るか

自社の製品は、お客様の製品の「何と何の間」にあるか

収束点——前工程の装置メーカーに治具を納めてきた部品メーカーに、共同研究の誘いと資本提携の打診が同じ月に届く場面を例に、シュンペーターは革新が組み合わせ方に移ること、斉彬は違う技術を隣に並べる場を作ること、龍馬は大きな二者の間に立つ者の役割、渋沢は合併しても事業が残ればよいことを語った。記事の論点に当てはめれば、微細化から3Dパッケージングへ/連携の場/連携の中の立ち位置/M&Aによる再編にあたる。 言い直し——性能の決め手が、部品一つの出来から、部品どうしのつなぎ方に移った。後工程に工程をまたぐ大手がいないのは、つなぎ目にまだ持ち主がいないということで、だから再編が起きる。斉彬の反射炉の壁を越えたのが隣の窯の陶工だったように、つなぎ目の壁を越えるのは隣にいた別の分野の者であることが多い。記事の「今動く企業が勝者になる」の「動く」とは、資本の選択より先に、自社がどのつなぎ目に立つかを決めることだった。 手元で試せること——自社の製品が、お客様の製品の中で「何と何の間」にあるかを一行で書いてみる。書けなければ、再編の波の中で、選ぶ側ではなく選ばれる側に立つことになるかもしれない。

学びの読書案内

  • ヨーゼフ・シュンペーター

    新結合(新しい財・生産方法・販路・供給源・組織)/革新の群生と景気循環

    『景気循環論』(Business Cycles, 1939)

    著作・資料を探す ↗

  • 島津斉彬

    集成館事業(製鉄・造船・紡績・ガラス・薬品を一か所で束ねた)

    尚古集成館の展示・解説資料

    著作・資料を探す ↗

  • 坂本龍馬

    社中による薩摩名義での武器・船の買い付けと引き渡し

    新政府綱領八策(1867年、自筆)

    著作・資料を探す ↗

  • 渋沢栄一

    合本組織/会社は名前より事業が残るか

    『論語と算盤』(1916、講話を編集)

    著作・資料を探す ↗

発言の背景にある出来事

  • 島津斉彬

    「最初の炉は、内側の煉瓦が熱に負けて溶け」

    反射炉の失敗と、窯の陶工

    斉彬は、佐賀藩主の鍋島直正から譲られたとされるオランダの鋳造書の訳書を手引きに反射炉を築かせた。1号炉は1853年夏に完成したが、耐火煉瓦が熱で溶けて使えなかった。藩の窯の陶工が天草の陶石を使い、炉の隣の窯で耐火煉瓦を焼き直し、2号炉は1857年5月に完成した(同時代の「市来四郎日記」による)。同じ年には佐賀藩士が集成館を見学している。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「集成館事業」 ↗

  • 坂本龍馬

    「薩摩藩の名義で小銃と船を買い付けて渡した」

    社中と、ユニオン号の買い付け

    1865年から66年にかけて、幕府の目があって武器を買えなかった長州藩のために、社中は薩摩藩の名義で小銃と蒸気船ユニオン号(長州側の名は乙丑丸)を買い付け、長州に引き渡した。薩摩と長州の和解は、小松帯刀や中岡慎太郎らが両藩を行き来して進めたもので、龍馬ひとりの仕事ではない。「亀山社中」は後世の通称で、当時は「社中」と呼ばれた。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「亀山社中」 ↗

  • 渋沢栄一

    「日本郵船になりました」

    共同運輸と郵便汽船三菱の合併

    1883年に開業した共同運輸会社は、三菱の海運会社に対抗するため政府の後押しで作られ、渋沢も発起人に名を連ねた。両社の運賃競争で、共同運輸の報告書によれば運賃は以前の4分の1ほどまで下がり、両社とも赤字に陥った。1885年、政府の勧告で両社は合併し日本郵船となった。共同の重役は合併に反対し、西郷従道が一人ずつ説き伏せたと伝わる。合併での渋沢自身の役割は史料ではっきりしない。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「日本郵船」 ↗

本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。

公式 Facebook

この回を誰かに渡すなら、上のシェアボタンからどうぞ。

← 連載一覧へ