GGROWTH INTELLIGENCE経営に、次の一手を。

vol.28

組織・人材戦略2026.10.06約6分

テレワークで増えた会議は、どう減らすか

確かめる区切りを、先に、部下と一緒に決める

ピーター・ドラッカー × 阿部正弘 × エルトン・メイヨー × 緒方洪庵

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部下六人の課長。ある火曜日のカレンダーに会議が七本並び、自分が発言したのは二本だけ。部下の日報には「提案書作成中」が三日続いている。記事は、テレワークで管理職を悩ませるのは「会議が増える」ことと「プロセスが見えない」ことの二つだと書きました。今宵は、会議と仕事は同時にできないと書いた経営学者、工場で「見ること」の効き目を問い直した心理学者、大坂の塾で若者を育てた蘭方医、そしてペリー来航で諸大名に書面で意見を求めた老中が語り合います。

Cast

  • ピーター・ドラッカー時間から始める1909–2005。経営学者。『現代の経営』『経営者の条件』『マネジメント』などで、マネジメントを一つの体系にまとめた。
  • 阿阿部正弘問いを先に配る1819–1857。備後福山藩主。25歳で老中となり、のち老中首座。ペリー来航時に大名・幕臣へ書面で意見を求め、勝海舟らを登用した。
  • メエルトン・メイヨー見ることの限界1880–1949。オーストラリア出身の産業心理学者。ハーバード・ビジネス・スクール教授。ホーソン研究の解釈を通じて人間関係論を広めた。
  • 洪緒方洪庵区切りと付き添い1810–1863。蘭方医。大坂に適塾を開き、福沢諭吉・大村益次郎・橋本左内らを育てた。除痘館で種痘を広めた。

実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。

司会

営業企画課の課長を思い浮かべてください。部下は六人。ある火曜日のカレンダーには会議が七本並び、自分が発言したのは二本だけでした。部下の日報には「提案書作成中」が三日続いています。記事は、テレワークで管理職を悩ませるのは「会議が増える」ことと「プロセスが見えない」ことの二つだと書いています。

ピーター・ドラッカー

まず時間です。成果をあげる人は、仕事からではなく、時間から始めます。記録し、整理し、まとめる。私は会議について、組織の欠陥に対する譲歩だと書きました。"one either meets or one works"。会議に出るか、仕事をするか。同時にはできません。

司会

七本のうち五本は、出ていても何も求められていません。記事の言う「参加できる」と「参加すべき」は別、ですね。

ピーター・ドラッカー

そして、浮いた時間はまとめて使うことです。報告書の初稿には、六時間か八時間のまとまった時間が要ります。十五分ずつでは、残るのは白紙と落書きです。

阿部正弘

会議の前に問いを配る話なら、覚えがあります。ペリーの国書を写して諸大名や幕臣に示し、書面で意見を求めました。記録に残るだけで七百通あまり。町人からも届きました。

司会

記事の言うアジェンダの事前設定を、国の規模でやったわけですね。

阿部正弘

ただ、七百通から答えは出ず、条約は結局、幕閣が決めました。広く問うたことで、幕府の決める重みは軽くなったとも言われます。問いを配ることと、決めることは別でした。

司会

では、もう一つの「プロセスが見えない」です。記事は、新入社員などに限って、期間を区切って画面共有で様子を見る方法も挙げています。

エルトン・メイヨー

見ることについては、私の同僚、レスリスバーガーとディクソンの記録があります。ある配線の作業室には、観察者が毎日座っていました。それでも十四人の作業者は、一日二台分を自分たちの仕事と決め、それ以上は作らなかった。集団で稼ぐ奨励給も、私は "completely failed of effect"、まったく効かなかった、と書いています。

司会

見られていても、仕事の量を決めていたのは作業者のほうだった、と。

緒方洪庵

私は、塾生一人ひとりの勉強を見張りませんでした。その代わり、会読の日を月に六度と決めた。その日にどこまで読めたかを、白い玉、黒い玉、白い三角でつけ、首席を三か月保てば上の級へ上がる。会読を仕切ったのも私ではなく、上級の塾生でした。

司会

記事の「一日二回・三十分の進捗確認」と「次の成果物をテキストで共有する」に当たりそうです。確かめる日と、確かめる中身が先に決まっている。

エルトン・メイヨー

お待ちください。月に六度でも、一日に二度でも、決まった日に出来を確かめられるのなら、それは画面を見張られるのと何が違うのでしょう。配線室の十四人は、観察者がいても自分たちで量を決めていました。確かめる日を上から決めても、同じことが起きるだけではありませんか。

司会

洪庵先生、いかがですか。

緒方洪庵

違いは、誰が区切りを決め、確かめる日のほかに何をしているかでしょう。会読の日取りは「一六」「三八」と決まっていて、塾生なら誰でも知っていた。仕切ったのも上級の塾生です。そして会読のほかの日は、先輩が後輩に親切に教えた。塾生たちは見張られていたのではなく、次の会読に向けて助け合っていたのです。

エルトン・メイヨー

それなら、私の見た別の部屋と同じです。生産が上がった六人の女性たちは、上からの強制なしに、やり方を相談しながら働いていました。確かめられること自体ではなく、区切りを誰と決めたかで、結果が分かれたのかもしれません。

司会

ただ、逆の心配もあります。入社したばかりの部下は、区切りだけ渡されても、途中のどこで迷っているのか自分でも言えません。記事が新入社員に限って画面共有を挙げているのも、そのためでしょう。経験の浅い者には、結果ではなく、手の動かし方そのものに付き添う管理が要るのではありませんか。

緒方洪庵

おっしゃるとおりです。入ったばかりの者を、いきなり会読には出しませんでした。初学の者にはまず文典を、福沢君の言葉を借りれば「素読を授る傍に講釈をもして聞かせる」。先輩が横について、読み方から教えたのです。文典を二冊読み終えて、ようやく会読に出る。そこから先は自力に任せました。

エルトン・メイヨー

横に座る人が教える人で、いつか席を立つと決まっているなら、配線室の観察者とは別物ですね。

司会

整理します。ドラッカーさんは会議と作業は同時にできない、阿部さんは問いを先に配る、メイヨーさんは見ても量は決まらない、洪庵先生は決まった日に出来を確かめる。記事の論点では順に「会議の棚卸しと時間をまとめる」「アジェンダの事前設定」「画面共有」「アウトプット思考」です。そして二つの問い返しで、区切りは上から決めるだけでは監視と変わらないこと、経験の浅い者には、外す時期を決めたうえで付き添いが要ることも見えました。 ——ただ、こうして並べると、オフィスでは何が起きていたのかが見えてきます。

緒方洪庵

見える場所にいたから、確かめる日を決めずに済んでいた、ということでしょう。

エルトン・メイヨー

そして、見えていたものは、仕事の出来ではなく、座っている姿でした。

阿部正弘

問いを配るだけでは足りません。いつ、誰が決めるかまで、配っておくべきでした。

司会

記事は、テレワークのデメリットは「管理手法をテレワーク仕様に変革する」ことで改善できると書いています。四人の話から、その中身が見えてきます。オフィスでは、目で見えていたおかげで、何を、いつ確かめるかを決めずに済んでいた。会議が増えたのは、その決めていなかった分の請求書でした。アウトプット思考とは、見張る方法を変えることではなく、確かめる区切りを先に、部下と一緒に決めることです。経験の浅い部下ほど区切りは細かく、横で付き添う時間も要る。ただし、その付き添いをいつ外すかまで、先に決めておく。 試しに、部下一人ひとりについて、次に確かめる成果物を「いつまでに、何が、どこまでできていればよいか」で一行ずつ書いてみてください。書けない部下がいれば、その人の進み具合を確かめる会議は、何度開いても減りません。書けたら、その一行を本人に見せて、同じ一行が返ってくるかを確かめてみてください。

対談から読み解く、4つの軸

なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。

  • ピーター・ドラッカー:時間から始める

    記事が引く「時間をまとめる」の出どころ。会議は組織の欠陥への譲歩であり、会議と仕事は同時にできない

    理論: 時間の記録・整理・まとめ/会議は組織の欠陥への譲歩

  • 阿部正弘:問いを先に配る

    会議の前に問いを紙で配り、答えを紙で集めた。ただし集めた意見から答えは出ず、問いを配ることと決めることは別だった

    理論: ペリー来航時の諮問(意見書は記録に残るだけで700通あまり)

  • エルトン・メイヨー:見ることの限界

    観察者が常駐していても、作業者は自分たちで仕事の量を決めていた。画面共有で見張ることの限界と、区切りを誰と決めるかを問い返す

    理論: ホーソン研究の解釈/集団の規範が公式の制度を上回る

  • 緒方洪庵:区切りと付き添い

    塾生の勉強を見張らず、会読の日に出来を確かめた。初学の者には先輩が横について教え、文典を終えてから会読に出した

    理論: 適塾の会読と等級制/初学者への素読と講釈

次に確かめる成果物を、部下ごとに一行で書けるか

収束点——会議が7本並び、部下の日報に「提案書作成中」が3日続く課長を例に、ドラッカーは会議と仕事は同時にできないこと、阿部は問いを先に配ること、メイヨーは見ても仕事の量は決まらないこと、洪庵は決まった日に出来を確かめることを語った。記事の論点に当てはめれば、会議の棚卸しと時間をまとめる/アジェンダの事前設定/画面共有/アウトプット思考にあたる。二つの問い返しでは、区切りを上から決めるだけでは監視と変わらないこと(メイヨー)と、経験の浅い者には外す時期を決めたうえで付き添いが要ること(洪庵)が見えた。 言い直し——オフィスでは、目で見えていたおかげで、何を、いつ確かめるかを決めずに済んでいた。会議が増えたのは、その決めていなかった分の請求書である。アウトプット思考とは、見張る方法を変えることではなく、確かめる区切りを先に、部下と一緒に決めること。経験の浅い部下ほど区切りは細かく、横で付き添う時間も要るが、その付き添いをいつ外すかまで先に決めておく。 手元で試せること——部下一人ひとりについて、次に確かめる成果物を「いつまでに、何が、どこまでできていればよいか」で一行ずつ書き、本人に見せて同じ一行が返ってくるかを確かめる。

学びの読書案内

  • ピーター・ドラッカー

    時間の記録・整理・まとめ/会議は組織の欠陥への譲歩

    『経営者の条件』(The Effective Executive, 1967)

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  • 阿部正弘

    ペリー来航時の諮問(意見書は記録に残るだけで700通あまり)

    (本人の著作はなし)

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  • エルトン・メイヨー

    ホーソン研究の解釈/集団の規範が公式の制度を上回る

    『産業文明の社会的問題』(The Social Problems of an Industrial Civilization, 1945)

    著作・資料を探す ↗

  • 緒方洪庵

    適塾の会読と等級制/初学者への素読と講釈

    『扶氏医戒之略』(1857、フーフェランドの医戒を抄訳)

    著作・資料を探す ↗

発言の背景にある出来事

  • 阿部正弘

    「ペリーの国書を写して諸大名や幕臣に示し」

    ペリー来航時の諮問

    1853年、ペリーが持参した米国大統領の国書について、老中首座の阿部は、1853年8月5日(嘉永6年7月1日)に諸大名へ示して意見を求め、幕臣にも諮問した。記録に残る意見書は700通あまりで、町人からも寄せられた。勝海舟もこのとき意見書を出し、のちの登用につながったとされる。一方で集めた意見から結論は出ず、和親条約は幕閣の判断で結ばれた。広く意見を求めたことで幕府の権威が下がったとも評される。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「阿部正弘」 ↗

  • エルトン・メイヨー

    「ある配線の作業室には、観察者が毎日座っていました」

    ホーソン工場の配線作業室

    1931年から32年にかけ、ウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、14人の作業者が電話交換機の配線をする部屋に観察者が常駐した。作業者たちは「1日2台分」を自分たちの仕事と決め、それ以上は作らず、作りすぎる者には呼び名がついていた。この観察と公式報告はメイヨーの同僚、レスリスバーガーとディクソンの仕事(1939年刊)で、メイヨーは集団で稼ぐ奨励給が効かなかったと自著に書いた。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「ホーソン実験」 ↗

  • 緒方洪庵

    「会読の日を月に六度と決めた」

    適塾の会読と、初学の者の教え方

    福沢諭吉の『福翁自伝』によれば、適塾の会読は「一六」「三八」の日取りで月6回あり、会頭がその出来を聞いて白玉・黒玉で評価した。各級で首席を3か月保つと上の級へ上がった。入門したばかりの者には、まずオランダ語の文典を「素読を授る傍に講釈をもして聞かせる」形で教え、文典2冊を終えてから会読に出し、それから先は自力の研究に任せた。いずれも塾生が約40年後に語った回想である。

    ↑ 本文の発言に戻るWikipedia「適塾」 ↗

本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。

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