
頼れるベテランが辞めると、その人にしか分からない仕事が止まる。だから手順を書き残そう、Wikiをつくろう、と考える会社は多いはずです。記事は、ナレッジ共有の成否はツールでは決まらず、書く時間を業務と認めるか、知識の持ち主を決めるかで決まると説きます。では、書き残した知識は、なぜ使われないことがあるのでしょうか。今宵は、食い違う法学者の学説を一冊の法典にまとめさせた東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世、フランス人技師に別子銅山の目論見書を書かせ、技師の隣にいた通訳を留学させた広瀬宰平、能の秘事を伝書に書いて選んだ者にだけ渡した世阿弥が、書くことと渡すことの違いを語ります。
今宵の賢人たち
- ユユスティニアヌス1世書いた人の名を残し、使う一冊を決める482頃–565。東ローマ皇帝(在位527〜565)。トリボニアヌスらに命じてローマ法を編纂させた
- 広広瀬宰平書かれていても、読まれなければ残らない1828–1914。住友の別子銅山の支配人として近代化を進め、住友の経営を率いた(当時の職名は総理代人・総理人)
- 世世阿弥大事なことほど、選んで渡す1363頃–1443頃。能役者・能作者。父・観阿弥とともに能を大成し、芸の伝え方と観客との関係を伝書に書き残した
対談本編
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司会
今日は「『聞けば分かる』組織は、人が抜けた瞬間に止まる」という記事を題材にします。記事は、ナレッジ共有の成否はツールでは決まらず、書く時間を業務と認めるか、持ち主を決めるかで決まると説きます。まずユスティニアヌスさん、知識を残すとは、どういうことでしょうか。
ユスティニアヌス1世
ローマの法学者たちが残した学説は膨大で、互いに食い違っていました。私はトリボニアヌスらに、それを一つにまとめさせました。各断片には元の学者の名前を残させ、完成した後は、古い書物を法廷で引くことを禁じました。誰もが同じ一冊を引けるように、今使う一冊を一つに決めたのです。
司会
書いた人の名を残し、使う版を一つに決める、ということですね。では、そうして書かれたものは、使われるのでしょうか。広瀬さん。
広瀬宰平
1874年、私は別子銅山にフランスの技師ラロックを招き、山じゅうを測らせて、目論見書という一冊にまとめさせました。鉱山の先行きを示す羅針盤にするつもりでした。ところが、その目論見書には煙害の賠償の見積もりまで書かれていたのに、私たちはそこを読んでいなかったと、後の研究は見ています。のちに、煙害は起きました。
ユスティニアヌス1世
一冊にまとめても、読む人がいなければ、ただの書物だということですか。
広瀬宰平
そうです。私は一冊とは別に、調査の間ずっとラロックの隣にいた通訳を選び、フランスへ学びに行かせていました。書いたものを、自分のこととして読める人が要るのです。
司会
書いて一冊にまとめ、読める人を育てる。では、知識はすべて書き出して、誰でも読めるようにすればよいのでしょうか。世阿弥さん。
世阿弥
私は『風姿花伝』に「秘すれば花」と書きました。手の内をすべて見せれば、観客を引きつける力は失せます。だから稽古の次第は本文に書き、観客を引きつける秘事は「別紙口伝」として別に書いて、選んだ者にだけ渡しました。「家の大事、一代一人の相伝なり」です。大事なことほど、誰にでも見せる形にすると、その力を失います。御社でいえば、見積もりの手順は誰もが読める手順書に書く。けれど、どの客にどこまで値引くかという勘所は、後任を選んで、隣で渡す。御社の手順書で、勘所まで書き込もうとして、かえって読まれなくなったものはありませんか。
広瀬宰平
私も、皆が読む目論見書という一冊と、選んでフランスへ送った通訳とを、分けて扱っていたことになります。
司会
三人の話をまとめます。ユスティニアヌスさんは、知識を一冊にまとめ、誰もが同じものを引けるようにしました。広瀬さんは、一冊にまとめても読まれないことを知り、読める人を選んで育てました。世阿弥さんは、大事なことほど誰にでも見せれば力を失うとして、選んだ者にだけ渡す書を分けました。つまり、知識には二つの種類があります。一冊にまとめて誰もが使えるようにする知識と、相手を選んで隣で渡す知識です。記事は「持ち主を決めよ」と説きますが、その持ち主の仕事とは、この二つを分けることです。どちらの知識も、別の人が使えて初めて組織のものになります。一度、手順書を一つ選び、誰もが読む部分と、後任に隣で渡す部分に分けてみてください。分ける前と後で、読まれ方がどう変わるかを比べてみてください。
対談から読み解く、3つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
ユスティニアヌス1世:書いた人の名を残し、使う一冊を決める
記事の「どれが最新版か分かる状態」に、書いた人の名を残し、使う一冊を一つに決める、という手を足す役です。食い違う学説を一つの法典にまとめさせ、古い書物を法廷で引くことを禁じた経験から語ります。
理論: ローマ法大全の編纂(『学説彙纂』、530年の命令から533年完成)
広瀬宰平:書かれていても、読まれなければ残らない
記事の「書く時間」に、書かれていても読まれなければ組織の知識にならない、という危うさを足す役です。技師に書かせた目論見書にあった煙害の見積もりが読まれなかった一方で、技師の隣にいた通訳を選んで育てた経験から語ります。
理論: 『別子鉱山目論見書』(1875年)と、通訳の塩野門之助らのフランス留学(1876年)
世阿弥:大事なことほど、選んで渡す
記事の「書いて共有する」方向に、大事なことほど誰にでも見せれば力を失う、という反論を立てる役です。稽古の次第は伝書の本文に書き、秘事は「別紙口伝」として選んだ者にだけ渡した考え方から語ります。
理論: 『風姿花伝』の「秘すれば花」と、第七「別紙口伝」
開く知識と、選んで渡す知識を分ける
人が抜けても仕事が止まらない組織にするには、知識を書き残す時間と、その知識の持ち主を決めることが要ります。ただ、書いて一冊にまとめても、読まれなければ組織の知識にはなりません。一方で、大事なことほど誰にでも見せる形にすると、その力を失うこともあります。知識には、一冊にまとめて誰もが使えるようにするものと、相手を選んで隣で渡すものがある。持ち主の仕事は、その二つを分け、どちらも別の人が使えるところまで届けることです。
学びの読書案内
ユスティニアヌス1世
ローマ法大全の編纂(『学説彙纂』、530年の命令から533年完成)
『ローマ法大全』(『学説彙纂』『勅法彙纂』など)
広瀬宰平
『別子鉱山目論見書』(1875年)と、通訳の塩野門之助らのフランス留学(1876年)
別子銅山の近代化/自伝『半世物語』(1895年)
世阿弥
『風姿花伝』の「秘すれば花」と、第七「別紙口伝」
『風姿花伝』『花鏡』
発言の背景にある出来事
ユスティニアヌス1世
「古い書物を法廷で引くことを禁じました」
『学説彙纂』と勅令『タンタ』(533)
530年の勅令『デオ・アウクトーレ』で、トリボニアヌスら委員に、古典期の法学者の著作を一つにまとめるよう命じた。533年の勅令『タンタ』は完成を告げ、以後この集成だけに従い、古い書物を引用してはならないと定めた。各断片には元の法学者の名が残されている
広瀬宰平
「目論見書という一冊にまとめさせました」
『別子鉱山目論見書』(1875)
1874年、広瀬はフランス人技師ルイ・ラロックを別子に迎え、全山の鉱脈と坑道を測らせて、坑道・運搬・製錬・採鉱の4部からなる目論見書にまとめさせた。広瀬は自伝『半世物語』で、これを鉱山の前途の羅針盤にしたと書いている。ラロックとの契約は更新せず、通訳の塩野門之助らをフランスへ留学させた
世阿弥
「観客を引きつける秘事は「別紙口伝」として別に書いて」
『風姿花伝』第七「別紙口伝」
『風姿花伝』は1400年に第三までが書かれ、20年近く増補・改訂された。第七「別紙口伝」は「秘すれば花」を説く条を含み、末尾に「一代一人の相伝」と記す。応永25年(1418)の奥書で、弟の四郎と「元次」に渡したことが分かる。伝書は1909年まで家の外に出なかった
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
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