
関税の急な変更や、レアアースのような重要な鉱物の輸出規制が相次ぎ、「調達先を増やしておけば安心だ」と考える経営者は少なくないはずです。ところが記事は、調達先の分散だけでは足りないと言います。新しい調達先や提携先に図面や製造条件を渡す過程で、技術が外へ出ていくからです。供給を守る手と、技術を守る手は、どう両立させればよいのでしょうか。今宵は、英国が締め出していたイランから石油製品を買い付けた出光佐三、隣国に頼っていた水を数十年かけて自前の水源に置き換えていったシンガポールのリー・クアンユー、ヴェネツィアから鏡職人を招く一方で自国の職人の流出を禁じたフランスのコルベールが、調達先を増やすことの表と裏を語ります。
今宵の賢人たち
- 出出光佐三替えた先にも、頼る相手がいる1885–1981。出光商会(1911)・出光興産(1940)の創業者。外資と組まない石油元売りを貫いた
- リリー・クアンユー契約で時間を買い、別の手を育てる1923–2015。シンガポールの初代首相(1959〜1990)。水も資源もない都市国家を、外資誘致と制度整備で先進国水準に押し上げた
- コジャン=バティスト・コルベール技術は、人と一緒に動く1619–1683。ルイ14世の財務総監。輸入に頼っていた高級品を国内で作れるようにするため、関税・特権・外国人職人の招致を一つの政策として動かした
対談本編
実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。
司会
今日は「経済安全保障は『調達部門の仕事』ではない」という記事を題材にします。記事は、調達先を分散すれば十分だという考えを誤解だとし、供給網と技術の流出を一つの体制で見て、何を守るかの順位を経営が決めるべきだと説きます。まず出光さん、調達先を増やせば、会社は安全になるのでしょうか。
出光佐三
1953年、英国がイランの石油を締め出していた中で、私はイランから石油製品を買う道を開きました。拿捕された船の前例がある中で、自社のタンカーを出したのです。国際石油資本(メジャー)に頼らずに済み、3割ほど安く手に入りました。
リー・クアンユー
私たちも、水を一つの隣国に頼っていました。あなたが開いた道の先も、一つの政権だったのではありませんか。
出光佐三
おっしゃるとおりです。同じ年に向こうの政権が倒れ、値引きは細り、数年で協定は消えました。メジャーから離れたつもりが、今度はイランの一つの政権に頼っていたのです。
司会
調達先を替えても、頼る相手が替わっただけになることがある、ということですね。では、頼る相手からすぐには離れられないとき、どうすればよいのでしょう。リーさん。
リー・クアンユー
隣国との水の協定は、すぐには手放せません。そこで協定で当面の水を確保したまま、1972年に水の長期計画をつくり、再生水や海水の淡水化を何十年もかけて育てました。回顧録には「水については、代わりの手がある」と書いています。相手を替えるのではなく、止まっても回る道を、自分の手元に持とうとしたのです。
司会
ただ、自前の道が育つまでには時間がかかります。その間は、新しい相手と組むしかない会社も多いでしょう。そこで気になるのが、組んだ相手に何が渡るかです。コルベールさん。
ジャン=バティスト・コルベール
私は、ヴェネツィアから鏡づくりの技術を手に入れた側です。高い給金で職人をパリに招きました。ヴェネツィアは、国外で働く職人に帰国を命じ、罰も定めていましたが、それでも職人は来ました。技術は図面ではなく、人と一緒に動くのです。だから私は、自国の職人が外国へ移ることを法で禁じ、出ていこうとした職人を牢に入れることも認めました。それでも、招いた職人の多くは数年で故郷へ戻っています。人を縛ろうとした私の言うことですから、そこは差し引いて聞いてください。
出光佐三
人と一緒に動くなら、縛るより、手放さないことです。1945年の敗戦で海外の店をすべて失ったときも、私は店員を一人も辞めさせませんでした。手放したのは資産で、残したのは人です。
司会
三人の話をまとめます。出光さんは、調達先を替えても、頼る相手が替わるだけのことがあると示しました。リーさんは、相手を替える代わりに、止まっても回る道を時間をかけて手元に育てました。コルベールさんは、技術が人と一緒に動き、縛っても止められないことを、自らの政策で示しました。出光さんは、人を縛らず、手放さないことで残しました。供給を守ろうと新しい相手と組めば、人を通じて技術は外へ出ていく。技術を守ろうと閉じれば、供給は細る。二つは別々の部署の課題に見えて、実は一つの選択です。記事が、調達先の分散だけでは足りないと説く理由は、そこにあります。供給と技術のどちらを先に守るかは、調達担当者ではなく、両方を見渡せる経営にしか決められないのです。
対談から読み解く、3つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
出光佐三:替えた先にも、頼る相手がいる
記事の「調達先の分散」に、替えた先も一つの相手に頼ることになる、という危うさを足す役です。英国の禁輸の中でイランから石油製品を買い付け、3割ほど安く手に入れたものの、相手の政変で協定が消えた経験から語ります。
理論: 日章丸事件(1953年、イランからの石油製品の買い付け)
リー・クアンユー:契約で時間を買い、別の手を育てる
記事の「短期の手と中期の手を分ける」に、短い手は長い手を育てる時間を買うもの、という見方を足す役です。隣国との協定で当面の水を確保したまま、再生水や海水の淡水化を数十年かけて育てた経験から語ります。
理論: シンガポールの水の自前化(1972年の水の長期計画から、再生水・海水淡水化へ)
ジャン=バティスト・コルベール:技術は、人と一緒に動く
記事の「技術流出の防止」に、技術は図面ではなく人と一緒に動く、という見方を足す役です。ヴェネツィアから鏡職人を招いた側であり、自国の職人の流出を法で禁じても止められなかったことを、自らへの批判とともに語ります。
理論: 王立鏡製作所(1665年)への職人の招致と、1669年の移住禁止の勅令
供給を守ることと技術を守ることは、一つの選択
調達先を増やせば安全になる、と考えがちです。しかし調達先を替えても、頼る相手が替わるだけのことがあります。止まっても回る道を自分で持つには時間がかかり、その間は新しい相手と組むことになる。組めば、技術は図面ではなく人と一緒に外へ動きます。供給を守る手は技術を外に出し、技術を守る手は供給を細らせる。だから、どちらを先に守るかは、それぞれの担当部署ではなく、両方を見渡せる経営が決める必要があります。
学びの読書案内
出光佐三
日章丸事件(1953年、イランからの石油製品の買い付け)
日章丸二世によるイランからの買い付け(1953年)
リー・クアンユー
シンガポールの水の自前化(1972年の水の長期計画から、再生水・海水淡水化へ)
回顧録『From Third World to First』(2000)
ジャン=バティスト・コルベール
王立鏡製作所(1665年)への職人の招致と、1669年の移住禁止の勅令
王立鏡製作所の設立(1665年、のちのサン=ゴバン)
発言の背景にある出来事
出光佐三
「拿捕された船の前例がある中で、自社のタンカーを出したのです」
日章丸事件(1953)
1951年にイランが石油を国有化すると、英国は事実上の禁輸に出た。1952年にはイタリアのタンカーが英海軍に拿捕されている。出光は1953年2月にイラン国営石油と協定を結び、日章丸二世でガソリンと軽油を運んだ。同年8月の政変後に値引きは縮み、協定は1956年以降に消えた
リー・クアンユー
「1972年に水の長期計画をつくり」
シンガポールの水の4本立て
シンガポールはマレーシア・ジョホール州からの協定で水を引いてきた(1961年協定は2011年に失効、1962年協定は2061年まで有効)。1972年に最初の水マスタープランを作り、貯水池・再生水NEWater(2003年〜)・海水淡水化(2005年〜)を育てた。輸入水はいまも供給源の一つである
ジャン=バティスト・コルベール
「高い給金で職人をパリに招きました」
王立鏡製作所(1665)
1665年の勅許で設立した鏡製作所に、ヴェネツィア・ムラーノの職人を招いた。1666年に最初の鏡ができたが、職人の多くは数年で故郷へ戻った。コルベールは1669年の勅令で自国民の外国への移住を禁じ、1670年には製法を持ち出そうとした職人の投獄を是認している
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
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