
外部の技術を取り込み、自社の技術も外に出すオープンイノベーションが広がっています。記事は、外と組む前に自社の中核を決め、それを守る条件を契約と体制に盛り込めと説きます。けれど、契約で渡す範囲を決めるだけで足りるのでしょうか。外から来た答えを使いこなす人がいなければ、成果は出ません。今宵は、特許の製作・販売権を範囲を区切って英国へ譲った豊田喜一郎、外から技術を受けつつ売る名前は渡さなかった盛田昭夫、辞書に載らない前提を欧州で聞いて回った福沢諭吉、ベラスケスの名画を58点に描き直したパブロ・ピカソが、外の力を借りる前に何を決めておくべきかを語ります。
今宵の賢人たち
- 豊豊田喜一郎渡す範囲を、地域で区切る1894–1952。豊田佐吉の長男。G型自動織機の発明に携わり、豊田自動織機製作所の常務として織機事業を担ったのち、1937年にトヨタ自動車工業を興した。
- 盛盛田昭夫技術は受けても、名前は渡さない1921–1999。井深大とともに東京通信工業(現ソニー)を創業し、世界ブランドへ育てた経営者。
- 福福沢諭吉辞書に載らない前提まで受け取る1835–1901。洋学者・教育者。蘭学から英学へ転じ、外国の書物と制度を日本語に移す場として慶應義塾を創った。
- ピパブロ・ピカソ手本は写さず、動かす所を先に決める1881–1973。スペイン出身でフランスで制作した画家・彫刻家。1957年にベラスケス『ラス・メニーナス』を58点の連作に描き直した。
対談本編
実線の下線↗は元記事の該当箇所(別タブ)、点線の下線は下の「発言の背景にある出来事」へ移動します。
司会
今日の題材は「オープンイノベーションは『外の知恵を借りる』だけでは失敗する」です。記事は、外と組む前に自社の中核を決め、守る条件を契約に盛り込めと説きます。喜一郎さん、渡す側は何を決めておくべきでしょうか。
豊田喜一郎
私は1929年、G型自動織機の特許を、英国のプラット社に譲りました。渡したのは、日本・中国・米国を除く国で作り売る権利です。権利を丸ごとではなく、範囲を区切って渡したのです。調印に渡英した間、私は工作機械を調べ、フォードの工場を見て歩きました。
盛田昭夫
私も外から技術を受け取った側です。米国のウェスタン・エレクトリック社から、トランジスタの特許の使用許諾を2万5千ドルで受けました。ただ、売る名前は渡しませんでした。米国の大手時計会社から大量の注文が来ましたが、相手の商標を付ける条件だったので断りました。喜一郎さんは地域で、私は名前で、線を引いたのです。
豊田喜一郎
名前を守っても、受け取った技術を使える人がいなければ、売るものがありません。私は帰国後の1930年に自動車の研究を始め、1933年に自動車部を置きました。新しい仕組みは、人が慣れるまでに年月がかかるからです。
司会
渡す線に加えて、使う人も先に育てておく、ということですね。では、外から来るものを、受け取る側は何を決めておけばよいのでしょうか。福沢さん。
福沢諭吉
私は欧州使節に翻訳方として同行し、辞書に載らない前提を聞いて回りました。病院の費用は誰が出すのか、銀行や郵便はどう決まっているのか。聞かれた側は、当たり前すぎて笑っていました。外から来るのは物だけでなく、物を支える前提です。若い頃、横浜で看板が読めず落胆して英語に替えましたが、蘭学で身につけた読む力は英書にも使えたと、後で気づきました。
司会
前提まで受け取る人を、先に置いておくのですね。では、受け取ったものを自社のものにするには、何を決めておくのでしょうか。ピカソさん。
パブロ・ピカソ
私は1957年に、ベラスケスの『ラス・メニーナス』を58点の連作に描き直しました。最初の画面から、縦長を横長に替え、中心を王女ではなく画家自身に置きました。犬は、アトリエを走っていたダックスフントに替えました。手本をそのまま写さず、動かす所を先に決めたのです。御社が外から受け取った図面や試作品の、どこを動かすか。受け取った日に、誰が決めましたか。
司会
まとめます。喜一郎さんは、権利を渡す範囲を地域で区切りました。盛田さんは、技術は受けても、売る名前は渡しませんでした。福沢さんは、辞書に載らない前提まで聞いて回りました。ピカソさんは、手本のどこを動かすかを先に決めました。記事は、中核を守る契約と、社内の受け皿を、別々の判断として並べます。けれど四人の話では、どちらも外との境目に引く線です。渡す線も受け取る線も、組む前に自分の手で引いておく。引く人がいなければ、外から来た答えに、自分のほうが動かされます。進行中の協業の話で、動かす所と動かさない所を、それぞれ何項目か数えてみてください。書き出す前と後で、見えるものを比べてみてください。
対談から読み解く、4つの軸
なぜこの四人だったのか。各人がどの論点を担っているかを、人選の設計とあわせて示します。
豊田喜一郎:渡す範囲を、地域で区切る
記事の「中核を守る条件を契約に盛り込む」に、渡す範囲を地域で区切り、使う人を並行して育てる、という見方を足す役です。英国のプラット社へ特許の製作・販売権を譲った経験から語ります。
理論: プラット社への特許権譲渡(1929年)と、自動車研究・自動車部の設置(1930・1933年)
盛田昭夫:技術は受けても、名前は渡さない
記事の「何を外に出し、何を守るか」に、技術は受けても売る名前は渡さない、という線の引き方を足す役です。外から特許の使用許諾を受けつつ、大量の注文を相手の商標が条件で断った経験から語ります。
理論: 外から受けた技術と、自社の名前で売る判断(トランジスタの特許の使用許諾、大量注文の辞退)
福沢諭吉:辞書に載らない前提まで受け取る
記事の「社内の受け皿」に、前提まで受け取る人を先に置く、という見方を足す役です。使節に同行して辞書に載らない前提を聞いて回り、のちに『西洋事情』にまとめた経験から語ります。
理論: 遣欧使節での調査と『西洋事情』(初編1866年)、慶應義塾の創立
パブロ・ピカソ:手本は写さず、動かす所を先に決める
記事の「社内の受け皿」の手前に、外から受け取ったもののどこを動かすかを先に決める、という見方を足す役です。ベラスケスの名画を描き直した連作から語ります。
理論: 『ラス・メニーナス』の描き直し(1957年・全58点)
渡す線も、受け取る線も、組む前に自分で引く
外と組むときの線引きは、渡す側の契約の話だと思われがちです。対談の四人が示したのは、それが片側の話ではないことでした。渡す側は、地域や名前で線を引く。受け取る側は、前提まで受け取る人を先に置き、手本のどこを動かすかを決めておく。どの線も、組む前に自分の手で引くものです。線を引く人がいなければ、外から来た答えに、自分のほうが動かされます。

学びの読書案内
豊田喜一郎
プラット社への特許権譲渡(1929年)と、自動車研究・自動車部の設置(1930・1933年)
トヨタ自動車工業の創業(1937年)/「ジャスト・イン・タイム」の提唱(1938年)
盛田昭夫
外から受けた技術と、自社の名前で売る判断(トランジスタの特許の使用許諾、大量注文の辞退)
『MADE IN JAPAN』(1987年、E・M・ラインゴールド共著)
福沢諭吉
遣欧使節での調査と『西洋事情』(初編1866年)、慶應義塾の創立
『福翁自伝』(1899年)/『学問のすゝめ』(初編1872年)
パブロ・ピカソ
『ラス・メニーナス』の描き直し(1957年・全58点)
『ラス・メニーナス』連作(1957年)
発言の背景にある出来事
豊田喜一郎
「日本・中国・米国を除く国で作り売る権利です」
プラット社への特許権譲渡(1929)
G型自動織機の成果を受け、英国のプラット社は自社の市場を守るため特許の買取に動いた。1929年12月に英国で締結した契約は、日本・中国・米国を除く国での製作・販売権を譲るもので、総額10万ポンドの分割払いだった(実際の受取は8万3,500ポンド)。喜一郎は調印に渡英した間、工作機械を調べ、フォードの工場を見て歩き、帰国後に自動車の研究を始めた。範囲を区切った理由は資料に残っていない。この契約と並行した準備が、「渡す範囲を切り、使う人を育てる」という発言の土台になっている。
盛田昭夫
「相手の商標を付ける条件だったので断りました」
米国の大手時計会社の大量注文(1955)
1955年、米国の大手時計会社が大量のトランジスタラジオを注文したが、条件は相手の商標を付けることだった。盛田は断ったと伝わる(『MADE IN JAPAN』p.97を出典とする二次資料で、原文は未照合。数量は10万台とも1万台とも伝わる)。社内には受けてよいという声もあった。一方で東京通信工業は、1950年代前半に米国のウェスタン・エレクトリック社からトランジスタの特許の使用許諾を受けている。技術は外から受け取り、売る名前は渡さない。盛田の発言はこの二つの判断から来ている。
福沢諭吉
「辞書に載らない前提を聞いて回りました」
文久2年の遣欧使節(1862)
福沢は幕府の使節に翻訳方として同行し、欧州で病院の費用の出所、銀行、郵便法、徴兵令、選挙法、党派など、辞書に載らない前提を聞いて回った。聞かれた側は当たり前の話として笑っていたと『福翁自伝』は書く。この調査は『西洋事情』(初編1866年)になった。外から来るのは物だけでなく、物を支える前提でもある。福沢の発言はこの経験から来ている。
パブロ・ピカソ
「58点の連作に描き直しました」
『ラス・メニーナス』連作(1957)
1957年8月から12月にかけて、ピカソはラ・カリフォルニ(カンヌ近郊)で、ベラスケスの『ラス・メニーナス』を全58点の連作に描き直した。ピカソ美術館によると、最初の大画面から縦長を横長にし、中心を王女ではなくベラスケス自身に替えている。1968年に全点がピカソ自身からバルセロナのピカソ美術館へ寄贈された。手本をそのまま写すのではなく、動かす所を先に決める見方は、この連作の始まり方から来ている。
本連載は、各氏の原著・公開されている理論解説に基づき、現代の経営課題に合わせて再構成した架空の対談コンテンツです。発言はGROWTH INTELLIGENCE編集部による創作を含みます。
この回を誰かに渡すなら、上のシェアボタンからどうぞ。