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「どのシナリオを選べばよいか」で悩む前に読む—TCFD/TNFDシナリオの全体像と実践的な選択基準

2026.07.09GROWTH INTELLIGENCE 編集部

気候変動や自然資本に関する高度な情報開示を求められ、複数の複雑なシナリオをどう経営判断に結びつけるべきか混乱していませんか。ESG投資の潮流により、将来のリスクと機会を可視化するTCFDやTNFDへの対応は急務となっていますが、その分析プロセスの難解さが多くの担当者を悩ませています。本質的な問題は、シナリオ分析が形式的な開示作業に留まってしまい、自社のビジネスモデルに対する財務的な影響や、将来の強靭性を構造的に把握できていない点にあります。この課題を解決し、実効性のある環境経営を推進するには、提示されている各シナリオの背景や前提条件を正しく理解し、自社の戦略立案に統合するための全体像を把握しなければなりません。正しいシナリオの活用が、未来の不確実性をコントロールする武器となります。本稿では代表的な24のシナリオレポートの全体像を整理した上で、「どのように選択基準を設定するか」という実践的なガイダンスを提供します。

1|結論—シナリオ選択の迷いは「目的から逆算する選択基準」で解消できる

TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)・TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のシナリオ分析において、「どのシナリオを選べばよいか」という問いに唯一の正解はありません。重要なのは「温度帯や世界観が異なる複数のシナリオを選択することで想定外をなくす」という原則です。IEAシナリオ(移行リスク主体)・NGFSシナリオ(移行×物理リスク複合)・RCP/SSPシナリオ(物理リスク主体)という3グループへの分類が、選択判断の出発点です。

2015年のパリ協定における1.5℃目標が転換点となり、気候変動対策は国家レベルから個別企業レベルへ波及しました。カーボンニュートラルを宣言した国・地域は150以上、目標設定企業は世界で3,900社以上に増加しています。特に2023年9月にCDPがTNFDフレームワークと連携することを発表し、気候だけでなく自然・生物多様性に関するリスク開示の重要性も急速に高まっています。

2|TCFDとTNFDの違い—気候リスクから自然資本リスクへの拡張

両フレームワークとも、推奨される4つの開示項目(ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標)の中で、「戦略」に関するアクションとしてシナリオ分析が位置づけられています。シナリオ分析の目的は「気候変動・自然関連のリスクと機会が組織の事業・戦略・財務計画に及ぼす影響を複数のシナリオに基づいて検討し、組織の戦略のレジリエンスを評価すること」です。

3|シナリオの選び方—3つの選択原則

選択原則① 温度帯や世界観が異なる複数のシナリオを選択する →「1.5℃シナリオ」と「4℃シナリオ」のような対照的なシナリオを組み合わせることで「想定外をなくす」 選択原則② 自社の業種・状況・投資家の動き・国内外の政策動向に合わせて選択する → 金融機関:NGFSシナリオが参照されやすい。製造業:IEAシナリオが産業への影響評価に有効 選択原則③ シナリオレポートだけでなく外部情報も活用する → 業界別レポート・学術論文・物理的リスクマップ・ハザードマップ等を組み合わせてパラメータの客観性を確保する
継続的にTCFD/TNFD開示を実施している企業へのアドバイス 既に複数のシナリオで開示を行っている場合は、1.5℃シナリオの検討を加えることが一案です。1.5℃シナリオは最も野心的な移行シナリオであり、「最も厳しい政策環境でも自社が生き残れるか」という戦略のレジリエンスを最も厳格にテストできます。

4|IEAシナリオ群—移行リスク評価の主要ツール

IEA(国際エネルギー機関)が公表する一連のシナリオは、エネルギー転換・脱炭素化政策の進捗度合いをベースに複数の世界観を描いており、特に移行リスク(化石燃料需要の変化・再エネ普及・炭素価格等)の評価に有効です。

IEAシナリオの使い方はSTEPS(現状維持)とNZE2050(最野心的)の2シナリオを選択するだけで、「最も低炭素化が進む世界」と「現状の政策が続く世界」という対照的なシナリオが揃います。この2シナリオの組み合わせがTCFDシナリオ分析の「最小構成」として多く採用されています。

5|NGFSシナリオ群—移行リスク×物理リスクを複合評価する金融業界標準

NGFS(気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク)のシナリオは、気候政策の実施タイミング・厳しさ・整合性という観点から複数の世界観を設計しており、特に移行リスクと物理リスクの複合的な評価に適しています。

さらにNGFSシナリオから派生したDelayed Transition・Net Zero 2050・Divergent Net Zero・Below 2℃という4つのサブシナリオも存在し、より詳細な政策タイミングや移行パスを分析する際に活用されます。

6|RCP/SSPシナリオ—物理リスク評価のための気候科学シナリオ

RCP(代表的濃度経路)シナリオとSSP(共有社会経済経路)シナリオは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が気候変動の物理的影響を予測するために用いる科学的シナリオです。移行リスクよりも「温度上昇・降水量変化・海面上昇・極端気象の発生頻度」など物理的リスクの評価に適しています。
RCP/SSPシナリオの選択での注意点 RCP8.5(またはSSP5)は「最も悲観的な物理リスクシナリオ」として、産業施設の浸水リスク・熱波による生産停止・農業への影響評価に広く使用されます。しかし最近の研究ではRCP8.5の実現可能性について見直しも行われており、複数のシナリオを組み合わせることで偏りのないリスク評価が重要です。

7|TNFD向けシナリオ—自然資本・生物多様性リスクの評価ツール

TCFDが気候変動を対象とするのに対し、TNFDは自然資本・生物多様性という広範なリスクを扱います。TNFD分析に活用できる代表的なシナリオ・データベースを整理します。

8|キリンホールディングスのTNFD実践事例—TNFDベータ版から本格開示へ

キリンホールディングスは、2022年3月に発表されたTNFDフレームワークのオリジナルベータ版に従い、LEAPモデルのハイレベルでの応用を発表しました。環境報告書2023年では優先地域を特定するv0.2の基準に従って、スリランカの紅茶農園を詳細に分析しています。

キリンホールディングスのTNFD分析の概要 優先地域の特定:TNFDの基準に沿って、自然依存度・影響度が高い事業地域(スリランカの紅茶農園)を優先対象に選定 LEAPモデルの適用:Locate(位置の特定)→Evaluate(評価)→Assess(評価)→Prepare(対応準備)の4段階に沿って分析 シナリオ選定の流れ:まず温度帯・全体像などで候補シナリオを絞り込み、次に自社の想定指標が含まれるシナリオに絞り込む 指標・データベースの活用:選定した指標に対応するデータベースを特定して分析を実施

キリンの事例が示すTNFD対応の実践的な知見 「すべての拠点・サプライチェーンを一度に分析しようとしない」ことが重要です。優先地域(自然依存度・リスクが高い地域)を先に特定して重点分析することで、限られたリソースで実効性のあるTNFD開示が実現できます。これはTCFDのシナリオ分析でも同様で「最も影響が大きいシナリオ・地域・事業から着手する」という優先順位付けが、実務的な開示の質を担保します。

9|経営判断チェックリスト—TCFD/TNFDシナリオ分析を今整備すべき企業の条件

✓ TCFDの開示を行っているが、使用しているシナリオの選択根拠が明確でなく投資家・ESG評価機関からの質問に答えられない ✓ IEA・NGFS・RCPなど複数のシナリオが存在することは知っているが、自社に適したシナリオの選択基準がない ✓ 移行リスク(炭素税・政策強化)は分析しているが、物理リスク(異常気象・海面上昇)のシナリオ分析が不十分 ✓ TCFDは対応しているが、TNFDの生物多様性・自然資本リスクへの対応がまだ着手できていない ✓ シナリオ分析の結果を事業戦略に落とし込むことができておらず、開示書類の記載にとどまっている ✓ 継続的なシナリオ分析の実施をしているが、シナリオを更新する基準・頻度が定められていない

TCFD/TNFDのシナリオ分析で最も重要なのは「正しいシナリオを選ぶこと」ではなく「温度帯と世界観が異なる複数のシナリオを組み合わせて、自社の戦略のレジリエンスを包括的に評価すること」です。本稿で紹介した24のシナリオレポートから、まず「IEA STEPS(現状維持)×NZE2050(1.5℃)」という対照的なペアを選択するところから始めることが、TCFD対応の最初の実践的な一歩です。

10|経営者への一言

「どのシナリオを選べばよいか」という問いに正解はありません。「温度帯・世界観が異なる複数のシナリオを選択して想定外をなくすこと」が唯一の原則です。IEAの移行リスクシナリオ・NGFSの複合シナリオ・RCP/SSPの物理リスクシナリオを組み合わせることで、気候変動が自社の事業に与える影響の全体像が見えてきます。

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