
ニーズが増えても廃業が増える—介護事業が中期経営計画を持つべき本当の理由
2026.07.09GROWTH INTELLIGENCE 編集部
1|結論—「需要が増えているから安泰」という認識が最も危険
介護サービスのニーズは増加し続けています。2025年には団塊の世代が後期高齢者に差し掛かり、介護需要は急増します。しかし同時に事業所の乱立・大手企業の撤退・廃業も急増しています。この逆説の本質は「需要があれば生き残れる」という思い込みです。介護給付(公的財源)の不足により介護事業の収益構造が悪化する中で、経営の高度化・効率化を実現できる事業所だけが生き残ります。中期経営計画はその「高度化・効率化」を実現するための唯一の経営的基盤であり、策定していない介護事業所は今後の競争激化に耐えられないリスクが高まります。介護業界において中期経営計画の重要性はあまり認知されておらず、策定している事業所でも形骸化している例が多く存在します。しかし現在の介護事業を取り巻く環境から、廃業・倒産はすでに多数発生しており、介護給付の削減が進むことで競争がさらに激化することが想定されます。事業規模を問わず、経営の高度化は待ったなしの課題です。
2|介護業界の市場構造—「需要増×給付不足」という経営者が直視すべき逆説
介護業界の市場環境を正確に理解することが、中期経営計画策定の出発点です。
「需要が増えれば事業所は増える→競争が激化する→財源が不足する→給付が削減される」という連鎖 介護サービスの需要増加は、事業者にとって確実な追い風です。しかし同時に、介護給付の財源不足による報酬単価の削減・規制の強化という逆風も強まります。「需要がある業界」と「利益が出る事業所」は別物です。この構造の中で生き残るためには、他の事業所との競争に勝てる経営力の差別化が必要です。
3|中期経営計画の3つの目的—策定することで何が変わるか
中期経営計画とは、企業の理念・存在価値や中・長期のビジョン(ありたい姿)を3〜5年後の具体的なロードマップへと落とし込んだものです。その目的は以下の3点に集約されます。
4|中期経営計画の策定5ステップ—外部環境分析から短期計画書の作成まで
全国社会福祉法人経営者協議会のマニュアルに基づく策定手順は全8ステップですが、本稿では分析から計画化までの核心となる5ステップを解説します。▶ ステップ1:外部環境の分析(SWOT分析の機会・脅威) SWOT分析(強み:Strengths・弱み:Weaknesses・機会:Opportunities・脅威:Threats)を用いて、事業を取り巻く外部環境を客観的に把握します。外部環境ではOとTに着目し、以下の4側面から分析します。
Political(政治):介護保険制度の改定状況・都道府県や各自治体の福祉計画 Economic(経済):介護給付費の動向・設備投資動向・地域の経済状況 Social(社会):少子高齢化などの人口動態・競合施設の新設状況 Technological(技術):介護ロボット・ICT・LIFEなど新技術の動向
▶ ステップ2:内部環境の分析(SWOT分析の強み・弱み) 内部環境ではSとWに着目します。各法人によって実情が大きく異なるため、以下の資料・制度を活用することで分析の精度を高められます。
▶ ステップ3:クロス分析による経営戦略の設定 SWOT分析で得た情報を基に、3〜5年後のO・T・S・Wを予測し、以下のクロス分析で有効な戦略を検討します。
クロス分析で有効な戦略が複数挙がった場合の優先順位付け方法 ①緊急性(今すぐ対処しないと事業に影響が出るか) ②重要性(事業の存続・成長に直結するか) ③実現可能性(自社のリソースで実現できるか) この3軸で評価して優先度の高いものを経営戦略として抽出します。
▶ ステップ4:中長期事業計画書の作成 設定した戦略課題を中長期事業計画に落とし込みます。将来あるべき姿を具体的に示し、達成するための取組内容とスケジュールを設定します。ここでのポイントは「各取組に対して何年度までに達成するか(期限)」と「取組を主導する責任者」を明確にすることです。期限と責任者がなければ計画は「宣言」で終わります。
▶ ステップ5:短期事業計画書の作成 中長期事業計画書を単年度の実施計画書に落とし込みます。実行計画として具体的に記載することがポイントです。「研修を年2回実施」「説明会を年4回」というように取組の回数まで記載することで、実施後の評価が容易になります。スケジュールは月別に作成することで計画の具体性・実現性が高まります。
5|介護事業固有の3つの策定ポイント—現場経験者が指摘する見落としやすい視点
▶ ポイント① 数値化の徹底—定量化しにくいサービスの質をどう測るか 介護サービスの質(利用者の満足度・生活の質の向上)は定量的な評価が特に難しい領域です。主観的な要素が多いために数値化を避けてしまう事業所が多くありますが、数値化なしに計画の達成度を評価することはできません。対処策として、利用者向けアンケート・ご家族向けアンケートに加えて、2021年に導入されたLIFE(科学的介護情報システム)を活用することで、利用者の状態・満足度を本人・家族から系統的に収集する体制を整備することが求められます。数値化できる指標の設計が計画の実効性を担保する前提条件です。▶ ポイント② 政策動向の把握—「改定が起きてから対応する」では遅い 介護事業は介護保険法・都道府県・市区町村の政令・省令に準拠する必要があります。設備投資や施設建設のタイミングで認可基準が変化した場合、多額な投資が無駄になるリスクがあります。対処策として、各制度の改定時期を念頭に置いた行動と「今後どんな改定が起こりうるか」の予測が必要です。参考になる情報源として厚生労働省の「社会保障審議会」の議論資料があります。今後の介護保険法改定方針についての審議内容を把握しておくことで、将来の動向を踏まえた実効性の高い計画作成が可能になります。
▶ ポイント③ 人材戦略——「介護経験者の採用競争」ではなく「新規人材の発掘・育成」へ 介護業界の人手不足は全国ほぼすべての事業所が抱える構造的な課題です。人手不足によりサービスのニーズがあるにもかかわらず事業を廃止した例も多数存在します。すでに介護を生業とする人材の採用競争は激しく、限界があります。対処策として「他業界の人材層・主婦・定年後の就業していない層を獲得して介護人材に育成する」という採用戦略の転換が重要です。加えて「新たな人材の獲得」と同等以上に「既存人材のリテンション(保持・維持)」が重要です。離職率の高さが採用コストを増大させ、サービスの質を低下させるという悪循環を断ち切ることが、人材戦略の核心です。
6|介護事業の中期経営計画でよくある失敗—3つの典型パターン
失敗① 「計画書を作ったが現場に浸透せずに形骸化する」 経営者・管理職だけが計画を知っており、現場スタッフは「また何か書類が増えた」という認識になります。計画書の全文を読んでもらうことは難しいため、現場スタッフ向けには「自分たちに関係する取組・目標」だけを抜き出して伝えることが必要です。計画を現場の日々の行動に紐づけない限り、計画書は机の引き出しに入ったままになります。失敗② 「目標が定性的すぎて達成したかどうかわからない」 「サービスの質を向上させる」「スタッフが働きやすい環境を作る」という定性的な目標のみでは、計画期間が終了しても「達成したか・していないか」の判断ができません。「利用者満足度調査のスコアを〇〇から〇〇に向上させる」「離職率を現状〇%から3年後に〇%以下にする」という形で数値目標に変換することが必要です。
失敗③ 「制度改定後に計画を大幅修正することになる」 介護保険法の改定・報酬単価の変更は定期的に行われます。これらの変更を予測せずに設備投資・人員計画を作成すると、改定後に計画の前提が崩れ大幅な修正が必要になります。社会保障審議会の議論内容を定期的にモニタリングして将来の政策方向性を先読みすることが、計画の陳腐化を防ぐ実践的な対処法です。
7|経営判断チェックリスト—介護事業で中期経営計画を今策定・見直すべき条件
✓ 中期経営計画が存在しない、または形式的に作成されているが現場に浸透していない ✓ 2025年問題に向けた戦略(競合との差別化・人材確保・収益の多角化)が言語化されていない ✓ 介護保険報酬の改定が事業計画に影響するリスクを、改定後に気づいて対処している ✓ サービスの質・利用者満足度を数値で把握する仕組み(アンケート・LIFE等)が整備されていない ✓ 人材採用を「介護経験者の競合との奪い合い」のみで行っており、新規人材層の開拓戦略がない ✓ 介護給付への依存度が高く、給付削減が起きた場合の収益の確保・効率化の代替策がない介護給付の財源不足・競合施設の増加・人材不足という3つの圧力が同時に強まる中で、「現場が一生懸命やっているから大丈夫」という経営姿勢は通用しなくなっています。SWOT×クロス分析を基に3〜5年の戦略を設計し、数値目標と責任者を明確にした実行計画を作る。この中期経営計画の策定こそが、激化する介護業界の競争を生き残るための最も確実な経営的基盤です。